台東区商店連合会のせんわ通りのページを見ると、戦前は古着屋通りと言われ衣料品店が軒を連ねていたようだ。吉原の冷やかし客や浅草芸人が多かったようだ。当時の都内随一の繁華街であった浅草に近く、そして東京最大の遊郭、吉原があったこの辺りは賑やかだったんだろうな。
戦後、昭和23年(1948)には新大門柳通り商栄会として商店会が発足したものの、10年後、昭和33年(1958)に売春防止法が成立したことにより環境が一変したということです。
というか、売春防止法が施行されても、結局、吉原は、特殊浴場という風俗街であり続けたんだけど、それまでの遊郭なのか赤線なのか、呼称が変わっただけで、遊客が来ることには変わりないような気もするのだが。その辺がよく分からないのだけど、賑わいがなくなったということなんだろうな。
散策した日は、大きな熊手を担いだ人が多く歩いていた。そう、この日は近くの鷲神社の酉の市の日。
酉の市ということで、吉原のソープランド街につながるこのせんわ通りには多くの露店が並ぶ。
江戸時代、吉原遊郭に入るには反対側の大門からしか入れなかったが、この酉の市の日だけは、他の門も開けられていたようだ。
せんわ通り商店会の地図、アクセス
東京都台東区千束3丁目
せんわ通り商店会 情報交換
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