古着、中古レコード、ガード下飲み屋街、中央線文化の最先端(最後端?いや、最後端が、中央線文化の最先端)を突っ走る高円寺。南口のパル商店街から、少し路地に入ったところにも、古着屋がポツポツありますが、そのような古着屋を追いかけて路地を彷徨っていると、朱塗りの立派な仁王門に出くわします。それが、長仙寺です。
仁王門の両脇には、これまた立派な仁王像が睨みをきかせています。
山門入り口に杉並区教育委員会の説明板によりますと、
「長仙寺
日王山阿遮院(あじゃりいん)長仙寺は、真言宗豊山派の寺で不動明王を本尊としています。
寺伝によると、宝永元年(1704)、中野宝仙寺の住僧であった真秀(享保6年(1704)没)が、この地に一庵を建て、日王山阿遮院と号したのが開創といわれています。
その後、寺容も整い長仙寺と称してきましたが、寛政8年(1796)本堂を焼失し、50余年を経て嘉永3年(1850)、明情和尚の代に再建されました。
昭和になり、高円寺町の発展とともに寺勢再興し、昭和10年本堂を新築しましたが、同20年4月戦災のため惜しくも堂宇を全焼しました。現在の本堂(寝殿造り)は、昭和44年い建立されたものです。
本尊の不動明王像は『新編武蔵風土記稿』に『本尊不動にて長一尺八寸の立像を安ず』と記されているように、木像55センチメートル程の立像で、室町時代の作といわれています。
境内に安置されている如意輪観音の石仏は、享保9年(1724)の造立で、裏に『高円寺村観音講中同行男女百人』という銘文が刻まれています。観音様がほほを押さえ、いかにも歯が痛むようなお姿をしているので、誰いうこともなく歯が痛むときお参りをすれば、痛みを代わって受けてくださるとして近在の信仰をあつくし、人々から親しまれました。」
と記されています。
仁王門をくぐると、石像と緑豊かな庭園が広がります。石の配置からしてどうも、水が張られていた池のような感じがするのですが、水は張られていません。水が張られていたら、さぞ綺麗だったでしょう。
上の右の写真の奥に見えるのが、如意輪観音像のようです。確かに頬に手を当てているようですね。
高円寺、確かに少し坂のある街かもしれませんが、この長仙寺の境内はとても起伏に富んでおります。
緑の多い階段を登っていくと、立派な本堂があるのです。
鉄筋コンクリートでありますが、寝殿造の本堂はとても立派であります。
本堂のある高台から、東側にある庫裏を通して見遣ると、向こうにあるビルの屋根も庫裏に被っていることから、ここの地形がよく分かりますし、高円寺には、あまり高いビルがないんだなということも分かります。
長仙寺の地図、アクセス
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