2017年11月3日金曜日

諸宗山 回向院|両国の歴史あるお寺[東京マップ]

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回向院 山門
 隅田川の東岸、両国駅のすぐ近くにある回向院。回向院相撲が行われたお寺、猫塚、鼠小僧のお墓などなど、見どころ満載のお寺です。
 山門前にある回向院の由緒によると、明暦三年(1657)の明暦大火(俗に振袖火事)が起こりましたが、この火災による多くの無縁仏を葬るために、四代将軍徳川家綱が「無縁塚」を築かせ、念仏堂が建立されたことが始まりのようです。
 また、その向かいには、回向院境内にあった国技館についての説明書きがあります。
 回向院は、天保四年(1833)から76年間、相撲興行本場所が行われていました。明治42年(1909)に、この回向院の境内に国技館が建設され、本場所の興行は国技館で行われることになりました。回向院の境内ですから、回向院で行われ続けてようなものですね。国技館は、東京駅の設計をした辰野金吾氏が設計をしており、32本の柱をドーム状に集めた鉄骨の建物は大鉄傘とも呼ばれたようです。一万三千人収容の当時最大規模の競技場だったようです。この回向院の東側に、そのような建築があったことに驚きです。戦後、相撲興行は明治神宮外苑や浜町公園の仮設国技館で行われ、その後、台東区に新設された蔵前国技館で行われるようになりました。昭和60年(1985)に両国に国技館ができるまで、両国から相撲がなくなってしまったのです。一方、回向院の国技館は、GHQに接収され、その後、日本大学講堂となりましたが、昭和58年(1983)に老朽化のため解体されました。大鉄傘跡地は現在複合商業施設となっていて、中庭にはタイルの模様で土俵が示されています。
 この説明の下には、往時の大鉄傘の写真が掲載されています。こんなところに大きなドームの国技館があったのかと感動、と同時に、老朽化で素晴らしい建築が取り壊されてことにがっかり。
 境内に入ると参道は両側には竹が植えられ心地よい参道です。少し歩くと右側に「力塚」があります。
力塚

 「力塚」の説明書きによりますと、昭和11年に、歴代の相撲年寄の慰霊のために建立されたとのことです。その名の通り、なんとも力強さを感じさせる大きな石塚です。力塚の周囲には玉垣が巡らされ、大正5年に建てられた角力記(すもうき)と法界万霊塔(ほうかいばんれいとう)がこの中に移動されたようです。
 戦後一時途絶えたとは言え、江戸時代から続く相撲興行本場所の地、両国、回向院。その歴史を物語るように相撲にまつわるものが多くあります。
 奥に歩を進めると、平成14年に建立された聖観世音菩薩立像があります。
聖観音菩薩立像

 緑や、石像の多い境内です。

 

 本堂は、鉄筋コンクリート造りです。山門入り口の案内板に、第二次大戦前の回向院という写真が掲載されています。立派な木造瓦屋根の本堂が写っています。

 写真を撮り忘れたのですが、境内には延宝三年(1675)に建立された「石造明暦大火横死者等供養塔」があります。
 また、江戸時代の戯作者、岩瀬京伝、岩瀬京山兄弟の墓、江戸時代の国学者、加藤千蔭の墓の墓など、文化人の墓が多くあります。美人画で有名な浮世絵師、鳥居清張(長林英樹)の墓も回向院にありましたが、地震や戦災などにより失われてしまっていたため、平成25年に石碑が建立されています。
 このように、回向院は、江戸の歴史、文化にも触れられるお寺であります。


















 江戸の文化といえば、もう一つ、江戸の大泥棒「鼠小僧次郎吉」の墓もあります。大泥棒とは言え、汚職大名や悪徳商家から盗み、庶民に分け与えたという伝承もあり、処刑されても庶民に親しまれる存在であったと思われます。なかなか捕まらなかったという幸運から、墓石を削ってお守りにするとご利益があるという信仰が生まれました。

 この回向院は、人間だけでなく、動物まで生あるものは全て慈悲を説くという信条ですので、動物に関するモニュメントもたくさんあります。古いものでは、文化三年建てられた「猫塚」があるのですが、写真撮り忘れました。上の鼠小僧の墓の左側に見えるのが、猫塚です。


江戸時代の回向院
本所絵図(江戸切絵図)
 場所は、現在と同じ場所にあります。もちろん住所は両国ではなく、周囲は松坂町や相生町などの表記が見られます。現在の回向院は、北側に表門がありますが、江戸時代は、西側、隅田川の方に表門がありました。また、回向院の南側には、今も現存する、大徳院という寺院があります。
ぼうず志ゃも

 回向院と大徳院の西側は元町と記載されていますが、この場所には、現在も江戸時代から続く老舗「ぼうず志ゃも」、「ももんじや」があります。ぼうず志ゃもは、天保年間総合で、鬼平犯科帳にたびたび登場する「五鉄」という軍鶏鍋屋のモデルになったと言われています。ももんじやは享保三年創業で、こちらは、猪や熊、鹿などの獣肉専門のお店です。
 また、江戸握り鮨の発祥と言われる「与兵衛鮨」も、この元町に文政年間に創業しています。この与兵衛鮨は、昭和5年に廃業になったようですが、何れにしても、この元町界隈は、門前町としてかなり栄えていたのではないでしょうか。
 下の江戸名所図会で見てみますと、右下が表門になっていますので、その向かいが元町だと思われます。この建物の中に、「ぼうず志ゃも」、「ももんじや」「与兵衛鮨」があるのでしょう。人通りも多く書かれており、賑わっていた様子がわかります。
 江戸時代の回向院の北側は、大きな敷地に御竹蔵があり、その周りは武家屋敷ですので、北側には人は集まらず、やはり、回向院や大徳院のあるあたりに人が集まったのだと思われます。
 しかしながら、現在では、この界隈は、ぼうず志ゃも、ももんじやの2店を残すのみで、飲食店はなく、閑散としています。やはり、両国駅が出来てから、人の流れが変わったのだと思われます。ただ、栄えていたであろう昔に想いを馳せながら散策すると楽しいと思います。



 また、回向院と言えば、何と言っても相撲ですが、歌川広重の江戸百景の「両ごく回向院元柳橋」には、回向院は全く描かれていませんが、回向院の相撲櫓が描かれています。相撲興行が行われる時は、この相撲櫓が立ちますので、それを見て、相撲が行われることを人々が知り、集まってきたようです。



















回向院の地図、アクセス

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