2019年3月9日土曜日

原宿駅|竹下通りへの入り口、原宿駅[東京マップ]

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原宿駅(旧駅舎)

 原宿駅は、明治39年(1906年)に開業しました。現在の駅舎は、大正13年(1924年)に竣工された2代目の建物です。都内では最古の木造駅舎です。小ぶりなヨーロッパ風の建物は、原宿、竹下通りという若者のオシャレスポットのイメージに奇跡的にぴったりあっています。(※残念ながら、この駅舎は老朽化のため2020年を以て取り壊されてしまいました。)
 原宿という地名は、昭和37年の住居表示改正により、神宮前という地名に変えられることにより消滅しています。歴史を紐解くと、鎌倉街道の原宿という宿場がこのあたりにありました。この辺りといっても、江戸切絵図で見ると、現在の神宮前と北青山の境あたりに「原宿」の表記があり、現在の駅近辺は、下の切絵図の南西部にある水野石見守の辺りか、その周辺の畑あたりではないかと思われます。

青山渋谷絵図
 
 江戸の郊外とも言える原宿ですが、大正8年(1919年)に明治神宮が造営されたことにより、門前町として発展を始め、原宿駅の利用客も増加したようです。
 門前町として発展した原宿界隈ですが、次の転機としては、戦後、現在の代々木公園の場所に在日米軍施設「ワシントンハイツ」が造営されたことです。ワシントンハイツができたことにより、原宿はアメリカ文化の最前線となりました。アメリカ人向けのお店ができたり、それだけでなく、千駄ヶ谷地区は米兵に対しての連れ込み旅館まで発展し、戦後は風紀の乱れた街となってしまいました。
 アメリカ文化の最前線としての原宿と、性風俗の乱れた原宿ですが、1964年に東京オリンピックが開催されることが決まり、ワシントンハウスは日本に変換され、オリンピックの選手村になることになったため、千駄ヶ谷界隈の連れ込み旅館は一掃され浄化されました。
 ワシントンハウスがなくなり、浄化された原宿には、米兵とその家族はいなくなりましたが、やはり、アメリカ文化を身近で享受できた街であり、最先端の文化に接することができた街でありますので、原宿には、文化人やクリエイターなどが集まりました。文化は文化を呼び、最先端はさらなる最先端を呼び、原宿は、日本の文化、特に若者の文化の発信地となりました。 

  
 今では、この最先端の文化を生み出す原宿には、日本人だけでなく、海外からも多数の観光客が集まっています。小さな駅舎からは、海外の観光客も含めて雑多な人たちが、毎日はき出されています。


原宿駅の地図、アクセス

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