四谷の観音坂の麓に要塞のようにそびえるのが、真成院です。
慶長3年(1598)の創建、江戸城外堀建造に伴い、現在の地に移ってきたとのことです。
江戸時代より「潮干観音」として親しまれています。なぜ潮干観音なのかと言いますと、真成院が海の近くにあったため、観音像の台石が潮の満ち干きによって、濡れたり乾いたりするためだから、そのように呼ばれるようになったそうです。
江戸名所図会 |
ですが、海は描かれていませんね。海の近くにあったとはどういうことなのでしょうか?この絵図から考えると、高台にある汐干観音が潮の満ち干きで濡れたり乾いたりするということは、麓にある住宅は、大変な水害になりそうですが・・・創建の地が海に近かったのでしょうか?そういうことですかね。
四谷絵図 |
四谷絵図で見ると分かりますが、真成院の西側南側は、「鮫ヶ橋谷丁」や「鮫ヶ橋」と書かれています。ご存知な方もいらっしゃるかもしれませんが、ここは、、江戸時代から、その後、明治、大正、昭和と、一大貧民窟(スラム街)だったところです。
名所図会の汐干観音と、戒行寺の間が、そうだと思われます。江戸時代から、この辺りには、貧困層が集まっており、岡場所(風俗街)が形成されていたようです。今では、四谷は、高級マンション等が立ち並んでいますが、このあたりは、なぜか下町のような雰囲気がするのであります。
真成院の地図、アクセス
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