本堂、山門、毘沙門堂、どれも、戦災で焼け残った貴重なお寺です。戦前は毘沙門さまとして、賑わいを見せていたようです。そのような信仰は薄れていますし、四谷寺町も、お寺が集中していて観光地として着目されても良いのではと思いますが、特に観光客も押し寄せるでもなく、賑わっていません。
山門を入って正面に、毘沙門堂があります。山門も毘沙門堂も元禄頃の建築ではないかといわれております。
この山門と毘沙門堂は、釘を使用しな切組造り出そうで、歴史的にも非常に価値のあるお寺ですね。もう少し、着目されても良さそうな気がしますが。
毘沙門堂は、北を向いているのですが、普通、毘沙門天は、北を背にして配置されるそうです。
なぜ、北を向いているのかというと、この毘沙門天は、当初、江戸城内に安置されていたそうで、北の伊達政宗を警戒して睨みをきかせるために、北向きに配置したそうです。
本性寺には、江戸時代、四谷左門町や、荒木町に居住していた国学者の萩原宗固のお墓があります。萩原宗固と言ってもあまりピンとこないかもしれませんが、国学者の塙保己一、寛政の改革を行った松平定信といったら、歴史の授業で習った記憶もあると思います。塙保己一や松平定信は、萩原宗固が輩出した門人だそうです。
本性寺の地図、アクセス
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