アニメ映画「君の名は。」で、すっかり有名になった四谷、須賀神社の女坂の坂下にあるのが、妙行寺です。
創建年代は不詳ですが、室町時代の長禄年間(1457〜1460)頃の創立といわれています。麹町清水谷にあったものが、四谷寺町の他の寺院と同じく、江戸城拡張のため寛永11年(1634)にこの地に移ってきました。
レンガタイルが目に鮮やかな山門です。
妙行寺は、空襲により、それ以前の建築は焼き尽くされました。
戦前は、妙行寺には立派な赤門があったそうです。赤門というと東大を思い浮かべますが、赤門は、東大に限ったことではなく、将軍家の娘が嫁いだ家には、朱塗りの門を建てることが許されていたようです。ですので、赤門は、都内に複数存在していたようです。
とはいえ、妙行寺に将軍家の、娘が嫁いできたのではなく、妙行寺の檀家の娘が、10代将軍家治の側室として仕えたそうです。その縁あって、赤門を建立することを許されたそうです。
赤門には、当時の名匠・飛騨の甚五郎の龍の彫刻が彫られ、非常に立派であり、赤門寺と呼ばれていたそうです。繊細で無くなったのは残念です。
本堂も、戦後建て直されたものですが、木造の立派な本堂です。
江戸切り絵図にも記載があり、江戸時代から、須賀神社(天王社)の坂下にあったことが分かります。
創建年代は不詳ですが、室町時代の長禄年間(1457〜1460)頃の創立といわれています。麹町清水谷にあったものが、四谷寺町の他の寺院と同じく、江戸城拡張のため寛永11年(1634)にこの地に移ってきました。
レンガタイルが目に鮮やかな山門です。
妙行寺は、空襲により、それ以前の建築は焼き尽くされました。
戦前は、妙行寺には立派な赤門があったそうです。赤門というと東大を思い浮かべますが、赤門は、東大に限ったことではなく、将軍家の娘が嫁いだ家には、朱塗りの門を建てることが許されていたようです。ですので、赤門は、都内に複数存在していたようです。
とはいえ、妙行寺に将軍家の、娘が嫁いできたのではなく、妙行寺の檀家の娘が、10代将軍家治の側室として仕えたそうです。その縁あって、赤門を建立することを許されたそうです。
赤門には、当時の名匠・飛騨の甚五郎の龍の彫刻が彫られ、非常に立派であり、赤門寺と呼ばれていたそうです。繊細で無くなったのは残念です。
本堂も、戦後建て直されたものですが、木造の立派な本堂です。
四谷絵図 |
妙行寺の地図、アクセス
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