中野北口のサンモール商店街を人混みの波に乗って歩いていくと、サンモールの突き当たりで、その人々を飲み込むようにどーんと口を開けて構えているのが、中野ブロードウェイです。
中野ブロードウェイのホームページによりますと、開業したのは、昭和41年(1966年)だそうです。当時としは、画期的な商業住宅複合のビルとしてスタートしました。今では、サブカルの聖地として様々なマニアが集まってくるブロードウェイですが、もともとは、地元の様々な商店が寄せ集めで入った商業施設だったようです。ですので、今でも、サブカルなショップだけでなく、何にもカテゴライズされないカオスな状況になっています。
中野ブロードウェイのサブカルの聖地としての火付け役になったのは、まんだらけです。まんだらけは、1980年に2坪というスペースで開業したようです。バブル景気にさしかかろうとしていた日本において、商店の寄せ集めのような商業施設は古臭かったでしょうし、中央線沿線の学生街文化のようなしみったれた中央線文化も古臭くなったでしょう、中野ブロードウェイの商店の寄せ集めのような商業施設は、廃れてしまい、シャッター施設と化していたようです。
一方で、この時期は、前年に機動戦士ガンダムが始まるなど、日本のアニメ、マンガ文化が急速に発展、進化、細分化が始まった時期だと思います。また、中野は、漫画家が多く住み、アニメ製作会社も多く存在している土地柄でしたので、この時期にこの場所で、バブル文化とは一線を画すまんだらけが開業したのは偶然かもしれませんが、すべての要素を考えると必然だったのかもしれません。
80年代は、アニメ、漫画は、大衆娯楽ではありましたが、一歩踏み込んだコアなマニアになると、アングラな存在でした。80年代から90年代にかけては、オタクというと宮崎勤や宅八郎など、少々不気味な存在であり、白い目で見られるような存在でありました。
そのようなコアなマニアに支えられ、まんだらけが成長し、また、それが、他のショップを惹きつける事になりました。80年代から90年代前半にかけてはアングラな存在であったオタクは、2000年代に入ると、メジャーな存在となり、それどころか、オタク文化は、日本独自の大きな文化として認められるようになり、中野ブロードウェイも、サブカルチャーの聖地として大きく認知され、今に至ります。
切手、古銭屋、洋服、時計、鉄道模型、CD、レコード、古書店など、様々なショップがあります。中でも、時計は、高級ブランドの中古のショップが、サブカルなお店に囲まれてあり、少し異質な感じもしますが、賑わっています。
飲食店もいくつかあります。中華料理、寿司、カフェ、喫茶店など。特に2階にあるお店は、どのお店も昭和レトロな感じが郷愁を誘います。
地上階は、このような感じですが、地下一階に降りると様相は一変します。
昭和レトロな街の商店街となっています。商業住宅複合ビルからスタートしている中野ブロードウェイですから、やはり、商店街は必須なのですね。
それにしても、オシャレなスーパーが一店ドーンと入っているのではなく、多数の商店が雑然と営業しています。この気取らない庶民感覚感さが、中野な感じがします。
ソフトクリーム屋さんの「デイリーチコ」は、1966年の中野ブロードウェイ開業当初からあるそうです。ここの特大ソフトクリームや、8段重ねのソフトクリームは、テレビなどでも紹介されておりますので、お客さんでごった返しています。
中野ブロードウェイの地図、アクセス
中野ブロードウェイ 情報交換
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