銀座にもほど近い有楽町。ですが、銀座とは違い、この有楽町界隈は、どちらかというと大衆、サラリーマン向けの酒場が高架下に多く集まる一帯であります。有楽町駅の高架下には、びっしり居酒屋があり、毎晩、サラリーマンでごった返しています。
そのような有楽町高架下の中に、有楽町高架下商店会と看板が掲げられ、その上には、煌々と飲食店の数々の看板が掲げられている高架下を発見しました。
銀座方面の高架下に、有楽町産直横丁という、昭和レトロを後付けで作り上げたようなウソくさい横丁を見てきた後に目に入った有楽町高架下センター商店会。この看板の感じなど、これは、昭和レトロ高架下飲み屋街ではないかと期待が昂ります。
ただ、遠目には、薄暗い感じがし、人気もあまり感じられません。
通りに足を踏み入れてみると、やはり、人気がありません。奥には何かあるのではと思い、自分の嗅覚を信じ、奥に入っていきましたが、奥に行けば行くほど、寂れていきます。
ポツンポツンと飲食店がありますが、寂れ具合は、どんどんひどくなります。ただ、何かありそうな気がするのですが。
やはり、ポツンと飲食店はあ利、ここから始まるのか!と期待が昂るのですが、やはり、寂れっぷりは酷くなっていきます。
もう、ただの高架下で、人通りも全くなくなってしまいました。
結局、高架下の昭和レトロな楽天地はありませんでした。
でも、たまにある飲食店。
あとで調べてみると、やはり、この通りは、高架下の一大飲み屋街だったようです。
戦後、有楽町駅の東側には、ヤミ市が形成されていたようです。このヤミ市を整理する目的で、すしや横丁というバラック建ての飲食店街が形成されました。新宿の思い出横丁のような低層のバラック建ての飲食店が連なる風景だったようです。
このすしや横丁は、昭和40年代に撤去され、そのお店の一部が、有楽町高架下センター商店会を形成したのです。
当時は、有楽町駅の北に東京都庁がありました。東京都庁といえば、現在では、都庁舎に1万人を超える職員がいます。当時どのくらいの職員がいたかは知りませんが、都庁だけでも大量の人が通勤していたことになります。都庁から有楽町駅への帰り道にあたる有楽町高架下センターは、都庁職員の帰り道にあたり、大繁盛したそうです。
ですが、都庁が新宿に移転してしまったため、人通りがなくなってしまい、現在のような寂れっぷりになってしまったようです。
有楽町高架下センター商店会の地図、アクセス
東京都千代田区丸の内3丁目
有楽町高架下センター商店会 情報交換
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