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2025年1月13日月曜日

ハモニカ横丁⑤ハーモニカ横丁(吉祥寺祥和会通り商店会/吉祥寺祥和会飲食部)|吉祥寺北口ヤミ市の痕跡

  ホーム東京の商店街>ハモニカ横丁⑤ハーモニカ横丁(吉祥寺祥和会通り商店会/吉祥寺祥和会飲食部)
ホーム東京の飲み屋街ハモニカ横丁⑤ハーモニカ横丁(吉祥寺祥和会通り商店会/吉祥寺祥和会飲食部)


 ハモニカ横丁の一番東の通り。この通りには、看板に通りの名前は書いておらず、「ハーモニカ横丁」とだけ、看板が掲げられている。そしてハーモニカ横丁の上には「吉祥寺北口駅前商店〇〇」と書いてある。最後の方の文字は消されているが、おそらく連合会と書いてあったようだな。
 よくよく調べてみると、ハモニカ横丁は通りごとに商店会組織が異なるのだが、以前はそれらが吉祥寺北口駅前商店連合会として一体の組織になっていたようだ。それが2008年に解散したので、看板の連合会が消されたようだ。
 入り口にあるモルガン宝飾店の看板に、since1948と書いてあるぞ!ここがヤミ市からマーケットになった頃からあるということだ。すごいな。


 早朝なので、どこも開いていない。




モニカ横丁⑤ハーモニカ横丁の地図、アクセス

東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目

モニカ横丁⑤ハーモニカ横丁 情報交換

ハモニカ横丁⑤ハーモニカ横丁(吉祥寺祥和会通り商店会/吉祥寺祥和会飲食部)について、足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。

2025年1月12日日曜日

ハモニカ横丁④のれん小路(吉祥寺祥和会通り商店会/吉祥寺祥和会飲食部)|吉祥寺北口ヤミ市の痕跡、昭和感満載の横丁

 ホーム東京の商店街>ハモニカ横丁④のれん小路(吉祥寺祥和会通り商店会/吉祥寺祥和会飲食部)
ホーム東京の飲み屋街ハモニカ横丁④のれん小路(吉祥寺祥和会通り商店会/吉祥寺祥和会飲食部)


 ハモニカ横丁で昭和感満載なのが、のれん小路。この看板も昭和感満載だ。


 昼間は、閑散としているというか、人っ子一人いないが、夜はわんさか混雑するんだろうな。



 この木枠の引き戸がたまらない。


 のれん小路と、その西側にある祥和会通りは、吉祥寺祥和会通り商店会と吉祥寺祥和会飲食部という2つの商店会組織が入り乱れている。


 今度は、夜訪れてみたいもんだ。

モニカ横丁④のれん小路の地図、アクセス

東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目

モニカ横丁④のれん小路 情報交換

ハモニカ横丁④のれん小路(吉祥寺祥和会通り商店会/吉祥寺祥和会飲食部)について、足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。

ハモニカ横丁③朝日通り商店街(朝日通り商店会)|吉祥寺北口ヤミ市の痕跡、晩杯屋があるので昼から飲める

 ホーム東京の商店街>ハモニカ横丁③朝日通り商店街
ホーム東京の飲み屋街ハモニカ横丁③朝日通り商店街


 ハモニカ横丁、中央通りの次は朝日通り。
 看板には、朝日通り商店街と書かれているが、商店会の組織は朝日通り商店会。


 他の通りと同じく飲食店が多くあるが、そんな中でも洋服店や雑貨店、眼鏡店などがある。
 あまりにも朝早く散策したので、まだ開いていなかったが、晩杯屋が土日は11時から飲めるようだ。それにしても、晩杯屋は、どこにでもあるな。



モニカ横丁③朝日通り商店街の地図、アクセス

東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目

モニカ横丁③朝日通り商店街 情報交換

ハモニカ横丁③朝日通り商店街(朝日通り商店会)について、足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。

ハモニカ横丁②中央通り商店街(吉祥寺北口駅前中央会)|吉祥寺北口ヤミ市の痕跡から人気の飲み屋横丁へ

  ホーム東京の商店街>ハモニカ横丁②中央通り商店街(吉祥寺北口駅前中央会)
ホーム東京の飲み屋街ハモニカ横丁②中央通り商店街(吉祥寺北口駅前中央会)


 吉祥寺駅北口前のハモニカ横丁。前回は、一番西側の通り仲見世通りを紹介したので、今回はその隣、中央通り商店街。こちらの入り口の看板にはハモニカ横丁の表記はない。
 そう、前回もお話しした通り、ハモニカ横丁と一括りに言われているが、ハモニカ横丁とは通称であって、実際はそれぞれの通りに商店会組織があって、それぞれに個別の名前がついている。ここは、吉祥寺北口駅前中央会という商店会組織が組まれていて、中央通り商店街と命名されている。


 中央通りに入ると、「Video Information Center」という看板が目につく。ハモニカ横丁というと飲み屋横丁のイメージが強いが、そもそもは戦後のヤミ市から始まったので、別に飲み屋横丁として始まったわけではない。だから飲食店以外のお店もあるわけなのだが、この「Video Information Center」、名前の通り、ビデオ店から始まったようなのだけれど、今では、ハモニカ横丁の飲食店をいくつかプロデュースしている。
 その奥にあるハモニカキッチンもそうだ。言わば、今のハモニカ横丁の飲み屋横丁としての隆盛を下支えしているのだ。


 いろんなお店があると言えど、ほぼ酒場だから、昼間歩いても、ほとんど閉まっているし、人も歩いていない。それが、夜になると小さなお店たちが明かりを灯し、人が集まってくる。



 ハモニカ横丁の中でも老舗町中華、みんみん。創業は昭和48年(1973)。
 周囲の酒場がほとんど閉まっている中、お昼の開店前には行列ができてしまう。



 お昼ご飯に並んで入店。みんみんのチャーハンは、あさりの入ったあさりチャーハンしかない。
 餃子は、プリップリのもっちもち。


モニカ横丁②中央通り商店街の地図、アクセス

東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目

モニカ横丁②中央通り商店街 情報交換

ハモニカ横丁②中央通り商店街(吉祥寺北口駅前中央会)について、足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。

2025年1月11日土曜日

ハモニカ横丁①仲見世通り(新仲見世商店会)|吉祥寺北口のヤミ市の痕跡

 ホーム東京の商店街>ハモニカ横丁①仲見世通り(新仲見世商店会)
ホーム東京の飲み屋街ハモニカ横丁①仲見世通り(新仲見世商店会)

 吉祥寺駅北口にあるハモニカ横丁。駅前の大通りの建物の間にポツンポツンと開口する小さい路地。その様がハーモニカみたいだと、吉祥寺在住の評論家、亀井勝一郎氏が言ったことから、ハモニカ横丁と呼ばれるようになったんだとか。諸説あるみたいだけど。
 それぞれの入り口には看板が掲げられていて、よく見ると通りの名前が書いてあるが、それぞれ通りの名前が違う。仲見世通り、中央通り商店街、朝日通り、のれん小路。
 亀井勝一郎氏がハーモニカみたいだと言ったのが昭和37年。ハモニカ横丁と一派一絡げに言われているが、通りごとに商店組織が異なるようだ。ハモニカ横丁でお馴染みだが、地元では、駅前マーケット、北口マーケットなどとも呼ばれていたらしい。


 5筋ある通りの一番東の通りは、駅前の大きな商店街からも入り口が開口している。


 まさに戦後のヤミ市の雰囲気をそのままに伝える。マーケットができたのが昭和22年(1947)か、昭和23年頃と言われている。その当時から雰囲気はそのままなのだろう。


 この細い路地に数多の酒場が軒を連ねている。
 ヤミ市の名残を残す横丁は、酒場が軒を連ねる飲み屋横丁となっているところが多いが、ヤミ市が飲み屋ばっかりだったわけではない。食品や日用品も売っていたはず。飲食店が多いが、この仲見世通りにも飲食店以外のお店もある。



 朝からプラプラしていたので、どこの酒場も空いていなかったが、昼過ぎにこの万両が開いたので、早速入ってみた。


 カウンターには10人も座れないが、椅子がたくさん置いてあるので、お客さんが多い時はそこら辺に座って飲むのだろう。


 仙人のようなマスター。というか、マスターだと思っていたが、確かバイトだと言っていたような気がする。住みたい街No1であるが、奥が深く、不思議な街でもあるんだな。


 漫画家の赤塚不二夫の色紙が掲げられている。確か、以前よく来られていたとマスターが言っていたような気がする。




モニカ横丁①仲見世通りの地図、アクセス

東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目

モニカ横丁①仲見世通り 情報交換

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2024年12月7日土曜日

東口商店街 福生UNITE(福生東口商店街連合組合)|米軍の街、福生のかつての赤線街

 ホーム東京の商店街>東口商店街 福生UNITE(福生東口商店街連合組合)
ホーム東京の飲み屋街東口商店街 福生UNITE(福生東口商店街連合組合)


 JR福生駅東口には、かつて赤線街があった。そして今でも当時の赤線の雰囲気を存分に残した繁華街になっている。もちろん、雰囲気だけで赤線そのものは残っていないでしょうが。
 この通り一帯は、福生東口商店街という商店街組合が組織されていて、商店街名としては「福生UNITE」というらしい。が、この一帯は今でも「赤線」と呼ばれている。赤線があったという歴史を公にするところはあまりないと思うのだが、この街は、おそらく戦後からずっと赤線と呼ばれているのだろうな。
 福生市の市史研究誌「みずくらいど」の7号にまとめられた「立ち入り禁止令と福生ホーム」によると、終戦後、横田基地に進駐軍が入ってきて、政府は特殊慰安施設をもけたそうなんだが、米軍はそんなハレンチな公娼施設は認めなかったため、お取りつぶしになった。そうしたら、全国から私娼が集まってきてしまった。ハデな娼婦たちは農家の蚕室や住宅の一室を借りて町にがあふれかえったそうだ。
 そして朝鮮戦争が始まり米兵が増えるにつれて、娼婦も増えることとなり、しまいには置屋などの業態が出始め、組織的な売春が行われるようになってしまった。田舎町だった福生は、一転、娼婦の置屋があちこちにあり、ケバケバしい娼婦があふれかえる歓楽街となっていった。福生に住む娼婦が400人、そして働きにくる娼婦を入れると700人もの夜の女たちが集まる町になってしまったのだ。
 こんな乱れように米軍は、米兵に対して福生への立ち入りを禁止します。そして、福生の対策として、街娼婦を特定の地域に集め、そこ以外は徹底的に浄化するという対策だったとか。
 そしておそらく、この地域に街娼婦が集められたんだろう。


 その赤線というか福生UNITEの南側から入っていくと、やたら看板が賑やかなラーメン屋、福生ラーメンポロ春がある。看板に「FUSSA STYLE-SOBA HOUSE」と書いてあるが、福生スタイルのソバなんてあるのだろうか。あんまり聞いたことはない。とりあえず、お昼の腹ごしらえに入ってみる。
 昭和43年(1968)創業。オモウマい店でも紹介されたようで写真が飾ってあった。


 この写真だと伝わらないかもしれないが、チャーハンの量がハンパないのだ・・・。


 腹をパンパンにして福生UNITEの散策開始。
 ご覧の通り低層の建物が建ち並んでいるので、空が抜けて見える。おそらく建物はそんなに建て替わっていなくて、戦後かなんかの建物がそのまま使われているんだろうな。



 クラブや、バー、スナックなどが建ち並んでいる。中には1970年代からやっているような老舗のクラブやスナックなんかがあるようだ。


 米軍基地の街ということで、店構えというか雰囲気は異国情緒満載。英語も多いし、なんとも言えないアメリカンなエッセンスが感じられる。



 夜は、米兵がたむろしてんだろうなと思いきや、そんなことはないらしく、ここに飲みにくるのはほとんど日本人らしい。あと、米兵以外の海外の人たち。


 そしたら、このアメリカンな雰囲気はなんなんだ?という感じなのですが。どうやら、今の横田基地は輸送拠点という役割のようなので、血気盛んな米兵はあまりいないようで、そんなに福生の街に出歩かないようだ。


 詳しくは分かりませんが、1971年に戦闘部隊が沖縄に移され、横田基地は輸送中継基地として機能することになったようなので、その頃までは、血気盛んな米兵たちは福生の街に繰り出していたのかもしれないな。











 空き地の向こうの通りにも酒場がる。
 この手前の空き地にも飲食店があったのだが取り壊されて更地になっているんだが、ここにあった建物は、リリー・フランキーが無名時代に描いた壁画が残されていて有名な建物だった。Googleマップのストリートビューで過去に遡ると見ることができる。





 福生UNITEは、富士見通りを挟んで北側に続く。


 南側のアメリカンな街並みと打って変わって、北側は日本的なスナック街のような感じ。


 この北側も赤線があったのかな。ホテルもあるし、その名残なのかな。





 広範囲にわたって、パブやスナックがポツポツある感じ。







口商店街 福生UNITE地図、アクセス

東京都福生市福生

口商店街 福生UNITE 情報交換

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