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2025年8月3日日曜日

安養寺(岸光山 吉祥院 安養寺)|朱塗りの山門が美しい、吉祥寺の四軒寺のひとつ

 ホーム寺院安養寺岸光山 吉祥院 安養寺)


 寛永元年(1624)創建とされるお寺。お隣には、奈良時代創建の武蔵野八幡宮があり、江戸時代、安養寺は、その武蔵野八幡宮の別当寺だったのです。
 五日市街道から狭い参道の奥に山門が見える。江戸時代は徳川家に許されないと、朱塗りの門は建てられなかったと思いますが、安養寺の山門に関して、そのような記事が見当たらず、謂れはよく分かりません。
 安養寺は、吉祥寺駅北口にある4軒のお寺、四軒寺のうちのひとつとして知られています。


 まぁ、それにしても、青空の下、朱塗りの門は映えますね。


 参道の山門脇には石仏、石碑が並んでいます。念仏車、庚申塔などなど。
 庚申塔は、寛永5年(1665)や享保4年(1719)など江戸時代のものが残っています。


 本堂は、昭和34年(1959)に再建されたコンクリート作りの近代的な建築。


 本堂の前には池があり、鯉が泳いでいます。


 安永2年(1773)に奉納された梵鐘。鋳造したのは吉祥寺村近くの堺村の鋳物師。



養寺(岸光山 吉祥院 安養寺)の地図、アクセス

東京都武蔵野市吉祥寺東町1−1−21

養寺(岸光山 吉祥院 安養寺) 情報交換

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2025年8月2日土曜日

光専寺(月秀山 光専寺)|甍の美しい吉祥寺四軒寺

  ホーム寺院>光専寺(月秀山 光専寺)


 吉祥寺駅北口にある4軒の寺院、四軒寺。そのうちのひとつ。両隣を四軒寺の月窓寺蓮乗寺に挟まれていて、向かいには安養寺がある。


 立派な山門を潜ると、甍の美しい本堂。本堂の向こうは、吉祥寺の駅方面ですが、本堂の奥には高層の建物などなく、青空がキレイに見えますね。




 「凩や 土に極まる 巌の影」、明治生まれの医師であり俳人であった金子麒麟草の句碑。金子麒麟草が主宰した「かまつか俳句会」が、彼の古希を記念して建てたもの。お墓も光専寺にあるようなので、このあたりの人だったのかな。


専寺(月秀山 光専寺)の地図、アクセス

東京都武蔵野市吉祥寺本町1−10−21

専寺(月秀山 光専寺) 情報交換

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武蔵野八幡宮|坂上田村麻呂が祀った武運の神様

 ホーム東京の神社>武蔵野八幡宮


 吉祥寺といえば、住みたい街でも常に上位に入る人気の街。駅前には、商店街、パルコ、映画館、おしゃれなカフェ、レトロな横丁などがあり、さまざまな文化がミックスする街。
 JR吉祥寺駅から文化のるつぼな商店街の喧騒を北へ抜けると、緑豊かな武蔵野八幡宮がある。
 歴史はとても古く、奈良時代の終盤の延暦8年(789)に創建されている。創建したのは歴史の教科書にも出てくる平安時代の征夷大将軍で有名な坂上田村麻呂で、創建当初は、水道橋駅の近くだったとされている。
 坂上田村麻呂が、古くから武運の神として崇敬され、全国の八幡宮の総本社とされる宇佐神宮の分霊を祀ったとされている。ちなみに坂上田村麻呂は、ここの他にも、征夷の際に今の岩手県奥州市にも宇佐神宮の分霊を祀り、鎮守府八幡宮が創建されている。
 奈良時代から平安の貴族社会に移る頃、大和朝廷が東北、蝦夷の支配を強めようとした時代に、この武蔵野の地に創建された。鎮守府八幡宮の方は、征夷の時に創建されていて坂上田村麻呂の足取りも分かりやすいが、ここ武蔵野八幡宮に関してはよく分からない。Wikipediaの年表によると創建の前年、延暦7年に宮中警護の近衛少将と越後介を兼任するようになっている。
 そんな悠久の歴史を有する武蔵野八幡宮。江戸時代に入り、明暦3年(1657)の明暦の大火で水道橋付近にあった諏訪山吉祥と門前町が焼失したため、その周辺住民がこの地に移り住み吉祥寺村が開村。武蔵野八幡宮も、その住民たちと一緒に吉祥寺に移ってきた。ただ、村名にもなっている吉祥寺というお寺自体は、駒込に移ったため、吉祥寺に吉祥寺というお寺は無い。


 境内には、江戸時代に設置された井の頭弁財天への道標「神田御上水 井之頭辨財天 道標」が残されている。その名の通り、井之頭弁財天への道標として設置されたものだが、設置当初は、八幡宮外の対角にあり、八幡宮内にあったわけではない。大正時代に入り、道路拡幅のため、この道標は近所を転々とすることになり、八幡宮内におさまったのは、平成20年(2008)のことだそうだ。




 境内の狛犬は、明治12年(1879)に奉納されたもの。



 ケヤキやクスノキなどの緑豊かな巨木に囲まれて本殿がある。吉祥寺から駅チカとは、とても思えない。かつての武蔵野の雑木林が残っているのかと想像してしまうが、おそらく神域を形成するために植えられた木々なんだろうな。
 御祭神は、八幡大神こと、誉田別尊こと、応神天皇。応神天皇の母、大帯姫命こと、神功皇后など。


 境内には、出雲神社、三島神社、厳島神社、稲荷神社、疱瘡神社、大鳥神社の8社が境内社として祀られている。
 大鳥神社が祀られているので、毎年11月には大酉祭と呼ばれる酉の市が行われている。



蔵野八幡宮地図、アクセス

東京都武蔵野市吉祥寺東町1−1−23

蔵野八幡宮 情報交換

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2025年7月13日日曜日

蓮乗寺(佛種山 得乗院 蓮乗寺)|吉祥寺、四軒寺のひとつ

 ホーム寺院>蓮乗寺(佛種山 得乗院 蓮乗寺)


 吉祥寺駅の近くには巨大な寺院が4軒ある。その4軒の寺院を四軒寺と呼ぶ。そしてこの地域も四軒寺と呼ばれる。そして四軒寺を縄張りにする四軒寺一家という、江戸時代から続くヤクザ一家もある。
 この蓮乗寺も四軒寺のひとつ。木造の大きくて立派な山門があるのだが、改修工事で見れなかった。


 蓮乗寺の創建は、江戸初期だろう。
 山門が改修中だったが、本堂は既に改修されているようであった。


乗寺(佛種山 得乗院 蓮乗寺)地図、アクセス

東京都武蔵野市吉祥寺本町1−10−12

乗寺(佛種山 得乗院 蓮乗寺) 情報交換

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2025年1月13日月曜日

ハモニカ横丁⑤ハーモニカ横丁(吉祥寺祥和会通り商店会/吉祥寺祥和会飲食部)|吉祥寺北口ヤミ市の痕跡

  ホーム東京の商店街>ハモニカ横丁⑤ハーモニカ横丁(吉祥寺祥和会通り商店会/吉祥寺祥和会飲食部)
ホーム東京の飲み屋街ハモニカ横丁⑤ハーモニカ横丁(吉祥寺祥和会通り商店会/吉祥寺祥和会飲食部)


 ハモニカ横丁の一番東の通り。この通りには、看板に通りの名前は書いておらず、「ハーモニカ横丁」とだけ、看板が掲げられている。そしてハーモニカ横丁の上には「吉祥寺北口駅前商店〇〇」と書いてある。最後の方の文字は消されているが、おそらく連合会と書いてあったようだな。
 よくよく調べてみると、ハモニカ横丁は通りごとに商店会組織が異なるのだが、以前はそれらが吉祥寺北口駅前商店連合会として一体の組織になっていたようだ。それが2008年に解散したので、看板の連合会が消されたようだ。
 入り口にあるモルガン宝飾店の看板に、since1948と書いてあるぞ!ここがヤミ市からマーケットになった頃からあるということだ。すごいな。


 早朝なので、どこも開いていない。




モニカ横丁⑤ハーモニカ横丁の地図、アクセス

東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目

モニカ横丁⑤ハーモニカ横丁 情報交換

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2025年1月12日日曜日

ハモニカ横丁④のれん小路(吉祥寺祥和会通り商店会/吉祥寺祥和会飲食部)|吉祥寺北口ヤミ市の痕跡、昭和感満載の横丁

 ホーム東京の商店街>ハモニカ横丁④のれん小路(吉祥寺祥和会通り商店会/吉祥寺祥和会飲食部)
ホーム東京の飲み屋街ハモニカ横丁④のれん小路(吉祥寺祥和会通り商店会/吉祥寺祥和会飲食部)


 ハモニカ横丁で昭和感満載なのが、のれん小路。この看板も昭和感満載だ。


 昼間は、閑散としているというか、人っ子一人いないが、夜はわんさか混雑するんだろうな。



 この木枠の引き戸がたまらない。


 のれん小路と、その西側にある祥和会通りは、吉祥寺祥和会通り商店会と吉祥寺祥和会飲食部という2つの商店会組織が入り乱れている。


 今度は、夜訪れてみたいもんだ。

モニカ横丁④のれん小路の地図、アクセス

東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目

モニカ横丁④のれん小路 情報交換

ハモニカ横丁④のれん小路(吉祥寺祥和会通り商店会/吉祥寺祥和会飲食部)について、足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。

ハモニカ横丁③朝日通り商店街(朝日通り商店会)|吉祥寺北口ヤミ市の痕跡、晩杯屋があるので昼から飲める

 ホーム東京の商店街>ハモニカ横丁③朝日通り商店街
ホーム東京の飲み屋街ハモニカ横丁③朝日通り商店街


 ハモニカ横丁、中央通りの次は朝日通り。
 看板には、朝日通り商店街と書かれているが、商店会の組織は朝日通り商店会。


 他の通りと同じく飲食店が多くあるが、そんな中でも洋服店や雑貨店、眼鏡店などがある。
 あまりにも朝早く散策したので、まだ開いていなかったが、晩杯屋が土日は11時から飲めるようだ。それにしても、晩杯屋は、どこにでもあるな。



モニカ横丁③朝日通り商店街の地図、アクセス

東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目

モニカ横丁③朝日通り商店街 情報交換

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ハモニカ横丁②中央通り商店街(吉祥寺北口駅前中央会)|吉祥寺北口ヤミ市の痕跡から人気の飲み屋横丁へ

  ホーム東京の商店街>ハモニカ横丁②中央通り商店街(吉祥寺北口駅前中央会)
ホーム東京の飲み屋街ハモニカ横丁②中央通り商店街(吉祥寺北口駅前中央会)


 吉祥寺駅北口前のハモニカ横丁。前回は、一番西側の通り仲見世通りを紹介したので、今回はその隣、中央通り商店街。こちらの入り口の看板にはハモニカ横丁の表記はない。
 そう、前回もお話しした通り、ハモニカ横丁と一括りに言われているが、ハモニカ横丁とは通称であって、実際はそれぞれの通りに商店会組織があって、それぞれに個別の名前がついている。ここは、吉祥寺北口駅前中央会という商店会組織が組まれていて、中央通り商店街と命名されている。


 中央通りに入ると、「Video Information Center」という看板が目につく。ハモニカ横丁というと飲み屋横丁のイメージが強いが、そもそもは戦後のヤミ市から始まったので、別に飲み屋横丁として始まったわけではない。だから飲食店以外のお店もあるわけなのだが、この「Video Information Center」、名前の通り、ビデオ店から始まったようなのだけれど、今では、ハモニカ横丁の飲食店をいくつかプロデュースしている。
 その奥にあるハモニカキッチンもそうだ。言わば、今のハモニカ横丁の飲み屋横丁としての隆盛を下支えしているのだ。


 いろんなお店があると言えど、ほぼ酒場だから、昼間歩いても、ほとんど閉まっているし、人も歩いていない。それが、夜になると小さなお店たちが明かりを灯し、人が集まってくる。



 ハモニカ横丁の中でも老舗町中華、みんみん。創業は昭和48年(1973)。
 周囲の酒場がほとんど閉まっている中、お昼の開店前には行列ができてしまう。



 お昼ご飯に並んで入店。みんみんのチャーハンは、あさりの入ったあさりチャーハンしかない。
 餃子は、プリップリのもっちもち。


モニカ横丁②中央通り商店街の地図、アクセス

東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目

モニカ横丁②中央通り商店街 情報交換

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2025年1月11日土曜日

ハモニカ横丁①仲見世通り(新仲見世商店会)|吉祥寺北口のヤミ市の痕跡

 ホーム東京の商店街>ハモニカ横丁①仲見世通り(新仲見世商店会)
ホーム東京の飲み屋街ハモニカ横丁①仲見世通り(新仲見世商店会)

 吉祥寺駅北口にあるハモニカ横丁。駅前の大通りの建物の間にポツンポツンと開口する小さい路地。その様がハーモニカみたいだと、吉祥寺在住の評論家、亀井勝一郎氏が言ったことから、ハモニカ横丁と呼ばれるようになったんだとか。諸説あるみたいだけど。
 それぞれの入り口には看板が掲げられていて、よく見ると通りの名前が書いてあるが、それぞれ通りの名前が違う。仲見世通り、中央通り商店街、朝日通り、のれん小路。
 亀井勝一郎氏がハーモニカみたいだと言ったのが昭和37年。ハモニカ横丁と一派一絡げに言われているが、通りごとに商店組織が異なるようだ。ハモニカ横丁でお馴染みだが、地元では、駅前マーケット、北口マーケットなどとも呼ばれていたらしい。


 5筋ある通りの一番東の通りは、駅前の大きな商店街からも入り口が開口している。


 まさに戦後のヤミ市の雰囲気をそのままに伝える。マーケットができたのが昭和22年(1947)か、昭和23年頃と言われている。その当時から雰囲気はそのままなのだろう。


 この細い路地に数多の酒場が軒を連ねている。
 ヤミ市の名残を残す横丁は、酒場が軒を連ねる飲み屋横丁となっているところが多いが、ヤミ市が飲み屋ばっかりだったわけではない。食品や日用品も売っていたはず。飲食店が多いが、この仲見世通りにも飲食店以外のお店もある。



 朝からプラプラしていたので、どこの酒場も空いていなかったが、昼過ぎにこの万両が開いたので、早速入ってみた。


 カウンターには10人も座れないが、椅子がたくさん置いてあるので、お客さんが多い時はそこら辺に座って飲むのだろう。


 仙人のようなマスター。というか、マスターだと思っていたが、確かバイトだと言っていたような気がする。住みたい街No1であるが、奥が深く、不思議な街でもあるんだな。


 漫画家の赤塚不二夫の色紙が掲げられている。確か、以前よく来られていたとマスターが言っていたような気がする。




モニカ横丁①仲見世通りの地図、アクセス

東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目

モニカ横丁①仲見世通り 情報交換

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