2025年8月2日土曜日

武蔵野八幡宮|坂上田村麻呂が祀った武運の神様

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 吉祥寺といえば、住みたい街でも常に上位に入る人気の街。駅前には、商店街、パルコ、映画館、おしゃれなカフェ、レトロな横丁などがあり、さまざまな文化がミックスする街。
 JR吉祥寺駅から文化のるつぼな商店街の喧騒を北へ抜けると、緑豊かな武蔵野八幡宮がある。
 歴史はとても古く、奈良時代の終盤の延暦8年(789)に創建されている。創建したのは歴史の教科書にも出てくる平安時代の征夷大将軍で有名な坂上田村麻呂で、創建当初は、水道橋駅の近くだったとされている。
 坂上田村麻呂が、古くから武運の神として崇敬され、全国の八幡宮の総本社とされる宇佐神宮の分霊を祀ったとされている。ちなみに坂上田村麻呂は、ここの他にも、征夷の際に今の岩手県奥州市にも宇佐神宮の分霊を祀り、鎮守府八幡宮が創建されている。
 奈良時代から平安の貴族社会に移る頃、大和朝廷が東北、蝦夷の支配を強めようとした時代に、この武蔵野の地に創建された。鎮守府八幡宮の方は、征夷の時に創建されていて坂上田村麻呂の足取りも分かりやすいが、ここ武蔵野八幡宮に関してはよく分からない。Wikipediaの年表によると創建の前年、延暦7年に宮中警護の近衛少将と越後介を兼任するようになっている。
 そんな悠久の歴史を有する武蔵野八幡宮。江戸時代に入り、明暦3年(1657)の明暦の大火で水道橋付近にあった諏訪山吉祥と門前町が焼失したため、その周辺住民がこの地に移り住み吉祥寺村が開村。武蔵野八幡宮も、その住民たちと一緒に吉祥寺に移ってきた。ただ、村名にもなっている吉祥寺というお寺自体は、駒込に移ったため、吉祥寺に吉祥寺というお寺は無い。


 境内には、江戸時代に設置された井の頭弁財天への道標「神田御上水 井之頭辨財天 道標」が残されている。その名の通り、井之頭弁財天への道標として設置されたものだが、設置当初は、八幡宮外の対角にあり、八幡宮内にあったわけではない。大正時代に入り、道路拡幅のため、この道標は近所を転々とすることになり、八幡宮内におさまったのは、平成20年(2008)のことだそうだ。




 境内の狛犬は、明治12年(1879)に奉納されたもの。



 ケヤキやクスノキなどの緑豊かな巨木に囲まれて本殿がある。吉祥寺から駅チカとは、とても思えない。かつての武蔵野の雑木林が残っているのかと想像してしまうが、おそらく神域を形成するために植えられた木々なんだろうな。
 御祭神は、八幡大神こと、誉田別尊こと、応神天皇。応神天皇の母、大帯姫命こと、神功皇后など。


 境内には、出雲神社、三島神社、厳島神社、稲荷神社、疱瘡神社、大鳥神社の8社が境内社として祀られている。
 大鳥神社が祀られているので、毎年11月には大酉祭と呼ばれる酉の市が行われている。



蔵野八幡宮地図、アクセス

東京都武蔵野市吉祥寺東町1−1−23

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