JR福生駅東口には、かつて赤線街があった。そして今でも当時の赤線の雰囲気を存分に残した繁華街になっている。もちろん、雰囲気だけで赤線そのものは残っていないでしょうが。
この通り一帯は、福生東口商店街という商店街組合が組織されていて、商店街名としては「福生UNITE」というらしい。が、この一帯は今でも「赤線」と呼ばれている。赤線があったという歴史を公にするところはあまりないと思うのだが、この街は、おそらく戦後からずっと赤線と呼ばれているのだろうな。
福生市の市史研究誌「みずくらいど」の7号にまとめられた「立ち入り禁止令と福生ホーム」によると、終戦後、横田基地に進駐軍が入ってきて、政府は特殊慰安施設をもけたそうなんだが、米軍はそんなハレンチな公娼施設は認めなかったため、お取りつぶしになった。そうしたら、全国から私娼が集まってきてしまった。ハデな娼婦たちは農家の蚕室や住宅の一室を借りて町にがあふれかえったそうだ。
そして朝鮮戦争が始まり米兵が増えるにつれて、娼婦も増えることとなり、しまいには置屋などの業態が出始め、組織的な売春が行われるようになってしまった。田舎町だった福生は、一転、娼婦の置屋があちこちにあり、ケバケバしい娼婦があふれかえる歓楽街となっていった。福生に住む娼婦が400人、そして働きにくる娼婦を入れると700人もの夜の女たちが集まる町になってしまったのだ。
こんな乱れように米軍は、米兵に対して福生への立ち入りを禁止します。そして、福生の対策として、街娼婦を特定の地域に集め、そこ以外は徹底的に浄化するという対策だったとか。
そしておそらく、この地域に街娼婦が集められたんだろう。
その赤線というか福生UNITEの南側から入っていくと、やたら看板が賑やかなラーメン屋、福生ラーメンポロ春がある。看板に「FUSSA STYLE-SOBA HOUSE」と書いてあるが、福生スタイルのソバなんてあるのだろうか。あんまり聞いたことはない。とりあえず、お昼の腹ごしらえに入ってみる。
昭和43年(1968)創業。オモウマい店でも紹介されたようで写真が飾ってあった。
腹をパンパンにして福生UNITEの散策開始。
ご覧の通り低層の建物が建ち並んでいるので、空が抜けて見える。おそらく建物はそんなに建て替わっていなくて、戦後かなんかの建物がそのまま使われているんだろうな。
クラブや、バー、スナックなどが建ち並んでいる。中には1970年代からやっているような老舗のクラブやスナックなんかがあるようだ。
米軍基地の街ということで、店構えというか雰囲気は異国情緒満載。英語も多いし、なんとも言えないアメリカンなエッセンスが感じられる。
夜は、米兵がたむろしてんだろうなと思いきや、そんなことはないらしく、ここに飲みにくるのはほとんど日本人らしい。あと、米兵以外の海外の人たち。
そしたら、このアメリカンな雰囲気はなんなんだ?という感じなのですが。どうやら、今の横田基地は輸送拠点という役割のようなので、血気盛んな米兵はあまりいないようで、そんなに福生の街に出歩かないようだ。
詳しくは分かりませんが、1971年に戦闘部隊が沖縄に移され、横田基地は輸送中継基地として機能することになったようなので、その頃までは、血気盛んな米兵たちは福生の街に繰り出していたのかもしれないな。
空き地の向こうの通りにも酒場がる。
この手前の空き地にも飲食店があったのだが取り壊されて更地になっているんだが、ここにあった建物は、リリー・フランキーが無名時代に描いた壁画が残されていて有名な建物だった。Googleマップのストリートビューで過去に遡ると見ることができる。
福生UNITEは、富士見通りを挟んで北側に続く。
南側のアメリカンな街並みと打って変わって、北側は日本的なスナック街のような感じ。
この北側も赤線があったのかな。ホテルもあるし、その名残なのかな。
広範囲にわたって、パブやスナックがポツポツある感じ。
東口商店街 福生UNITEの地図、アクセス
東京都福生市福生
東口商店街 福生UNITE 情報交換
東口商店街福生UNITEについて、足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿
こちらからコメント、情報をお願いします。