2024年12月8日日曜日

FUSSA BASE SIDE STREET(福生武蔵野商店街振興組合)|国道16号線、横田基地向かいの商店街

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 米軍横田基地の街、福生。横田基地の西側はまっすぐ国道16号線、アメリカンな福生的にいうとROUTE16が走っていて、そしてその歩道にはアメリカンなレストランや雑貨店、洋服店が並んでいる。この光景がアメリカそのものだと、なんかのテレビで所ジョージが言っていた。
 その通りだと思う。


  FUSSA BASE SIDE STREETと名乗っているのは、横田基地沿い16号の南側。福生武蔵野商店街振興組合という商店街組織。


 横田基地ができる前は、大日本帝国陸軍の多摩陸軍飛行場があった。戦争が終わって、米軍の横田基地になり、横田基地関係者向けの商店街として形成された。







 昭和37年(1962)にオープンしたイタリアンレストランNICOLA。昭和31年(1956)に六本木の近く飯倉片町にオープンしたNICOLASの2号店としてオープンした。



 「パラマウント保険代理店」とか「GEORGE'S INSURANCE」などの看板が掲げられているが、窓ガラスには一面ワッペンが貼り付けてあったりして、保険屋さんなのか、雑貨屋さんなのか不思議な店構えなのだが、これは保険屋さん。しかも、1980年代に活躍したバンド、ZIGGYのボーカリスト森重樹一氏のご家族が経営しているらしい。



 沖縄発のアイスクリームショップBLUE SEAL。巨大なアイスの看板がアメリカンだ。


 16号から路地に入ると米軍ハウスがチラホラ残っている。朝鮮戦争が始まり横田基地に米兵が続々と任務のため集まったため、居住地が早急に必要となったため、16号沿いに最盛期には2000棟の米軍用の家が造られた。


 朝鮮戦争が終わり、その後、横田基地は出撃基地から輸送基地に移り変わっていき、米兵も基地内に住むようになり、1970年代になると米軍ハウスは役割を終えることになった。
 結局、空いた米軍ハウスに日本人が住むことになったんだけど、そこにムーブメントが起こった。このアメリカンなエリアのアメリカンなハウスにアーティストが住み着くようになったのだ。忌野清志郎、大瀧詠一、桑田佳祐、村上龍などなど。


 こうして、1970年代の福生にはアーティストの卵ともいうべき人たちが集まり、1980年代のカルチャーの発信元になった。





 アメリカ50’sのモーテルをモチーフにしたカフェ、The MINT MOTEL。ここには、かつて「テーラーK・ブラザーズ」というオーダースーツのショップがあった。1960年代からあるそのお店には、田辺靖雄、忌野清志郎、横山剣、浅野忠信など、錚々たるミュージシャンや俳優などが訪れていたという。




 床屋さんだったんだろうか。半円の窓に、タイル。シャレた建物だ。


 戦後から横田基地と共にある商店街。
 70年代には、ここに集まったアーティスト達から文化が発信された。
 それも今となっては昔のこと。




FUSSA BASE SIDE STREET(福生武蔵野商店街振興組合)の地図、アクセス

東京都福生市福生

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