2022年11月6日日曜日

十間橋通り商業協同組合|都電、東武鉄道の駅の廃止とともに衰退した?ウォーターフロントの商店街

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 隅田川と旧中川を接続する北十間川。江戸時代に水運のために開削され、戦前まで水運は栄えましたが、その後、都内にある河川はどこもそうだと思いますが、水運は衰えてしまいました。
 戦後はただの川となり、それどころかもしかしたら汚染もひどかったかもしれませんが、平成24年(2012)の東京スカイツリーの開業に伴い、北十間川の水辺はにわかに脚光を浴びるようになり、親水テラスや船着場などができて、おしゃれなウォータフロントに生まれ変わりつつあります。
 そんなおしゃれに生まれ変わりつつある北十間川にかかる橋「十間橋」。そしてその十間橋から北東の通りが十間橋通り。おしゃれに生まれ変わりつつある北十間川ウォーターフロントの商店街もおしゃれに生まれ変わっているのか?


 結論からいうと、 十間橋通りは東京東部の下町の商店街の例に漏れず、古い商店建築はあるが、商店の抜け殻になったような建築がかろうじて残る限界商店街。古い商店建築、看板建築の残る様子を眺めて昭和ノスタルジーに浸る。やっぱりそういうところ。


 古びた商店長屋。高度成長以降はこのような商店街は寂れていったのでしょうから、この商店長屋は、それ以前、昭和20年代から30年代というところでしょうか。そこに長屋茶房天真庵という喫茶兼、そば屋。ジャズが流れる昭和レトロな空間。
 古い商店建築をリノベーションしたカフェは都内に多くありますが、この十間橋通りでは唯一ではないでしょうか。リノベーションしてもあまり来客が見込めるところではないということなんでしょうか。


 この十間橋通り商店街、なんで、こんなへんぴなところに商店街があるのか?そしてなんでこんなに衰退しているのか?
 いろいろ調べてみると、私の勝手な推論ですが、十間橋通り商店街の川向こうには、かつて都電業平線の十間橋停車場があったのです。この停車場が大正8年(1919)から、昭和46年(1971)まであったのです。そして、十間橋通り商店街をはさみ込むように、東側には、東部亀戸線の十間橋通駅が、昭和3年(1928)から、昭和32年(1957)までああったのです。
 そう、十間橋通り商店街は、都電と東武鉄道の駅の間の通りだったのです。それは人、通りますよね。町の商店街が衰退したのは大型スーパーなどにおよるのでしょうが、それだけではなく、このような鉄道駅の廃止などの町の構造変化によるところも大きいのではないでしょうか。もし、今でも停車場や駅があれば、それなりに人通りがあるでしょうし、もう少しお店が残っていてもいいのかもしれません。


 看板のフォントサイズがどうなんだろう甲州屋。商店街には必需品のお肉屋さんだったようですが、閉業していますね。惣菜なんかもやっていたっぽい。下町商店街で賑わっていれば、下町散策グルメでも紹介されたりするんだろうな。
 その奥の建物も和風な商店建築でなかなかいい建物です。


 真ん中の建物の庇にはかろうじて喫茶の文字が見て取れるのだが、もうやってなさそう。その奥の赤い庇には、「いちごクラブまりい」と書いてあり、なんだかちょっとロリポップな卑猥さを感じてしまいますが、そういうお店は、今も昔もこの辺にはなさそう。




 商店街に一軒や二軒は欲しい昭和な町中華。ここにもありました中華楼。ここでお昼を食べたのですが、すでに散策しながらの飲み歩きなので、ここで何を食べたのか飲んだのか全く記憶にない・・・。


 十間橋商店街は、途中で二股に分かれ、一方は、これまた昭和レトロな商店街のキラキラ橘商店街に通じる細い路地となる。


 細い路地ではありますが、過去にはお店が立ち並んでいたのかもしれません。看板建築の遺構がちょこちょこあります。





 町の電気屋さんが健在。



 東部亀戸線の踏切。こんな住宅街の路地に踏切があるのがなんとなく下町。この踏切の近くに東部亀戸線の十間橋通駅が昭和32年までありました。なんか寂れてますが、昔は賑やかだったのかも。
 この踏切の北東側がキラキラ橘商店街。

間橋通り商店街地図、アクセス

東京都墨田区押上1丁目、3丁目、文花1丁目

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