歌舞伎町のど真ん中、歌舞伎町公園にある弁財天。弁財天は水の神様で、だいたい池や沼、湧水地など水辺にあるのですが。この弁財天は、日本屈指の歓楽街、飲み屋街の歌舞伎町というお水の街の水辺にあるのです。ここには、池も沼もないビルが林立する大都会。
今では想像もできないんですが、その昔、この一帯は沼地だったらしい。その沼地のほとりに弁財天があったんだそうで、その弁財天がそのまま残っているんです。
江戸時代、このあたりは大名屋敷があったのですが、その頃もまだ森や沼地、池のあるところだったようです。明治に入り池を埋め立て宅地として造成され、このあたりから水辺がなくなったんです。
大正2年(1913)、お堂が改築されたらしいですが、戦災にあっているので跡形もありません。歌舞伎町公園の入り口には、「大正十二年三月吉日」の石碑?門柱?が立ってます。この石碑は戦禍を乗り越えたんだな。その大正12年当時は、歌舞伎町公園の敷地には東京府立第五高等女学校があったので、この石碑は、高等女学校の門柱か何かだったのでしょうか。
しかし、公園とはいえ弁財天のある公園であるにもかかわらず汚い。さすが歌舞伎町ど真ん中。お堂の前にもゴミが散乱している。お堂の前で酒盛りでもしていたかのような景観。
大空襲で戦災にあった際、熱心な信者が弁財天の厨子をかついで避難させ、一時、笹塚のアパートの一室に安置されていたんだそうです。戦後、また、元の場所、現在の場所に戻された。
その当時のこのあたりに住んでいた人々のこの弁財天に対するおもいが伝わってきますが、今、このうす汚れた歌舞伎町で、この歌舞伎町弁財天を誰がどれだけおもっているのでしょう。
歌舞伎町弁財天の地図、アクセス
東京都新宿区歌舞伎町1−13−1
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