2024年11月10日日曜日

西新井大師/五智山 遍照院總持寺|平安時代、空海創建のお寺

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 西新井大師と言われますが、これは通称で、總持寺がこのお寺の本当の名前。創建は、天長3年(826)。
 西新井大師のサイトによると、平安時代初期、空海が関東で布教活動を行なっていた時、この辺りで悪疫が流行していたらしい。村人を救おうと、空海は十一面観音像と自身の像を彫り、十一面観音像を本尊とし自身の像を枯れ井戸に安置して21日間、護摩祈願をおこなったんだそうだ。
 そうしたところ、枯れ井戸から水が湧き、悪疫も平癒したんだそうだ。水が湧いた井戸がお堂の西側にあったことから、この辺りは西新井と呼ばれるようになったんだということだ。



 長い歴史のある西新井大師、さすがに平安時代当時の建造物は残っていないようだが、古い建造物が多く残っている。
 大きな山門は、江戸時代後期のものが残っている。両脇に立派な金剛力士像が安置されている。
 下の絵は明治に発行された「五智山總持寺全図」。今の山門と同じような立派な山門が描かれている。
 周辺には田畑が描かれているが、山門へ続く道端にはお店が描かれている。今も西新井大師への参道にある商店街の前身なんだろう。



 塩地蔵。イボ取りの効果があるといわれている塩。イボが取れたら塩を倍返しするんだとか。



 左の赤い塔は、明治17年(1884)に建てられた三匝堂。三匝堂は栄螺堂(サザエ堂)ともいわれ、その名の通り、中は螺旋状になっている。その通路に三十三観音や百観音が配置されていて、堂内を進むことで巡礼ができるようになっている。が、内部に入ることはできない。
 真ん中あたりの櫓の下に空海の祈祷によって井戸水が湧いた井戸、「加地水」がある。


 歴史ある建物が多く残る中で、本堂は昭和41年(1966)、火災により消失してしまった。江戸時代中期から残る立派な本堂だった。消失した旧本堂は、現在の本堂よりも少し山門側にあったので、旧本堂の屋根を補修し、その向こう側で現在の本堂が建設された。昭和46年(1971)に完成した。
 本堂は消失したが、本尊の十一面観音や、谷文晁の襖絵などが奇跡的に残っていたということだ。




 この日は縁日だったのか、屋台がたくさん出ていた。


西新井大師/五智山 遍照院總持寺地図、アクセス

東京都足立区西新井1−15−1

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