2025年5月3日土曜日

足立中央梅島商店街|世界的映画監督の育った下町商店街

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 梅島といえば、今では映画界の巨匠となった北野武氏の出身地。その北野武氏が、自身の幼少期をエッセイにしたたけしくんハイ!。そのエッセイは読んだことないけれど、NHKで放送されたドラマは見ていた。1950年代の梅島が舞台。ドラマでは、木造家屋、木造の居酒屋、未舗装の道路など、そんな街並みだったのを覚えている。
 1970年代生まれだし、下町で育ったわけでもないので、1950年代の下町には何の縁もゆかりもないのだけど、親しみと懐かしさを感じた。狭い家と、狭い道、隣近所、人との近さ。


 そんな街並みは、今の梅島にはあるわけもない。低層な建物が多いところあたりは、下町だなぁと感じる。
 足立区商店街振興組合連合会のサイトによると、足立中央梅島商店街は、島根商栄会として昭和5年(1930)に発足したとのこと。梅島駅から、旧日光街道を北に行くと島根鷲神社があるが、そこまでの道のりが商店街だったとのことだ。


 旧日光街道ということで、古くからの通りだということもあるからか、この日比谷せんべいは、庇にも書いてある通り、創業が明治40年という超老舗。隣にはもうなくなってしまったが、岡埜栄泉という和菓子屋さんもあったようだ。
 古い街道筋の古い商店街、時代の波に飲まれたようにお店は少なくなっているようだけれど、ポツンと古い歴史が残っているのが面白い。


 そして、古めかしい風情のある商店建築がそこそこ残っているのも味わい深い。
 この芦川輪業も、昭和な雰囲気を残す商店建築だ。自転車屋だったのか、バイク屋だったのか。どちらにしても、昔は個人で営んでいる商店が多かったんだろうけど、今は本当に少なくなってしまっている。



 看板建築も多く残っているが、マンションも多く建っていて、商店街というよりは、だんだんマンション街になっていっているんだろうかな。




 途切れ途切れに飲食店がある。昔は、もっと商店が連なっていたのかな。




 この薬局、十字マークのところだけ建築の看板部分が飛び出すという変則的な看板建築。あわせて「クスリ」のロゴの字体など、とても昭和を感じる。当時の商店がそれぞれとても個性的だったんだなと、当時の商店の活気を感じる。



 環七。環七を通りこえて、まだまだ先に島根鷲神社があるので、そこまで過去には商店街だったのだけど、昭和40年代にできたこの環七によって商店街が分断されてしまい、ついに昭和42年には、商店街はここ環七までになってしまった。


 ということで、環七以北は、昭和40年代からはもう商店街から外れてしまった地区になる。とは言え、まだまだ古い商店建築が残っている。こんな看板建築が、過去には連なっていたのかな。島根鷲神社は、ここから700mくらいあるので、随分と長い商店街だったんだろうし、そこまでお店が続いていたということを考えると、かなり賑やかな商店街だったのかも。
 地図で改めて、梅島駅から島根鷲神社までの距離をみてみると1.3km。現存する巨大な商店街というと、、、戸越銀座商店街かな。と思って戸越銀座の距離もみてみると、なんと同じく1.3km。ということは、戸越銀座なみの規模を持っていた商店街なんだ。


 なかなかド派手な建物発見!「スナックマリ」。この看板の字体も、素晴らしく昭和!看板とか庇とか色褪せているけど、おそらく庇は赤だったようだし、派手な建物だったんだろうな。しかし、それは表だけで、その裏の建物の深部を見ると、かなりの年季を感じる。
 おそらく、以前は隣にも何か商店か何かあって、その深部は隠れていたんだろう。
 商店街がシャッター商店街となり、そして、その果てには商店が歯抜けになり始めた時、このような商店の深部が見え始めてしまうのだ。



 何とカッコイイお宅を発見!これは、絶対に宇宙戦艦ヤマトの艦橋をイメージしているに違いない!宇宙的なデザインに圧倒された。




 梅島には変則的な看板建築が多いな。


 この先も、まだ旧島根商栄会は続くのだけれど、知人から呼び出しがかかったので、今日はここまで。


立中央梅島商店街地図、アクセス

東京都足立区梅島1丁目、2丁目、3丁目

立中央梅島商店街 情報交換

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