2025年9月7日日曜日

菊坂②菊坂ロード|戦前の文豪の面影と昭和の下町の面影

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 東京大学前の本郷通りを挟んだ向かい側にある細い下り坂、菊坂。本郷通りから入ると本郷四・五丁目商店会という商店街となり、その本郷四・五丁目商店会の先は菊坂ロードという商店街となります。
 ただ、通りに商店街の看板も何も記したものがないので、一体本当にそのような商店街なのかよくは分かりません。文京区商店街連合会のサイトの地図に菊坂ロードと書いてあるので、そうなんだろうと思われます。
 本郷四・五丁目商店会の頁で、戦前にあった菊富士ホテルについて書きましたが、その菊富士ホテルがあったのは菊坂で間違いはないですが、本郷四・五丁目商店会側ではなくて、菊坂ロード側にあったようです。
 この通りのホテルに、かつて谷崎潤一郎や坂口安吾などが逗留していたということです。


 看板建築が多く残っているます。


 空き地になっているところにも、おそらく看板建築が建っていたのかなと思いながら、その先を見ると、かなり古い木造建築があります。そう、この辺りは、まだまだ開発が手付かずなところが多いのか、木造建築が多く残っているのです。


 路地裏だけでなく残る木造建築。すごいですね。菊坂下の下道に降りる崖っぷちに建っています。


 そして、また菊坂の歴史を物語る商店。その名もズボン堂。デッドストックのジーンズでとても有名なお店。米軍払い下げの衣料品店としてスタートしたのが昭和25年(1950)。しかし、その前からズボンの仕立て屋として、昭和12年(1937)から、この地で長く営業しているのです。
 私の世代ですと、ファッション、流行というと東京西部(渋谷、原宿、下北、高円寺)なのですが、戦争前後は、東部が文化の中心だったのですから、本郷にも、このようなお店があったのですね。しかも現役。


 商店長屋だったのでしょうか。昔は、このような長屋が連なっていたんですかね。


 この土蔵を持つ木造建築は、古い質屋の建物。伊勢屋質店といって、樋口一葉が、このあたりで暮らしていた時に、この質屋に度々通って家計のやりくりをしていたそうです。相当、生活は大変だったんでしょうね。
 質屋って貧しい人たちに金貸してって、あんまりいいイメージありませんが、樋口一葉が亡くなった時には、伊勢屋のご主人は香典を持って弔ったんだそうです。
 江戸時代の万延元年(1860)創業で、祥和57年まで営業していたんだそうです。



 路地裏には、井戸の手押しポンプが残っています。




 明治10年(1878)創業の甘味処のゑちごや。甘味だけでなく中華料理も提供していたのですが、2024年の年末より当面の間お休みしますの張り紙が貼ってあり、休業状態にあります。残念ですね。
 明治からやっているということは、樋口一葉も、石川啄木も、宮沢賢治も住んでいた頃にはあったということなんですね。


 近代からの歴史の詰まった菊坂。その前はどうだったのでしょうか。


 江戸切絵図を見てみますと、現在の東大の場所に加賀の屋敷があります。そこから西の方を見てみると、「菊坂町」とか「菊坂畳町」などの町屋があります。江戸時代の菊坂は、町屋、寺院、武家屋敷が混在する町だったようです。
 このあたりには菊畑が多くあったようで、菊坂と呼ばれるようになったそうです。

坂②菊坂ロードの地図、アクセス

東京都文京区本郷4丁目、5丁目

坂②菊坂ロード 情報交換

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