なぜ大井町駅に、飲み屋横丁が?
大井町駅の東側には、大きな飲み屋街が形成されています。東小路飲食店街です。大井町駅周辺は、非常に整備されたキレイな整然とした駅前なのですが、駅からちょっとでも路地を入ると、狭い路地にディープな酒場がひしめく横丁になったりします。
大井町は、大正時代頃までは大規模工場が立地する工場の街でした。また、大正3年(1914)に国鉄新橋工場が、大井町に移転し、国鉄大井工場ができ、これは、現在でも、東京総合車両センターとして存在しております。大井町周辺の大規模な工場は少なくなっていますが、この東小路飲食店街のように、工場の労働者が集まる飲み屋横丁の名残が大井町にはあるのです。
東小路飲食店街は、大井町駅東側から東西に伸びる細い毛細血管のような路地です。そういう細い路地が、南北に二本あります。細い毛細血管路地には、中華料理、居酒屋、焼き鳥屋など飲食店が密集しており、労働者を毛細管現象で吸い上げるのです。
狭い通りに、狭小な飲食店がひしめいており、居酒屋の洞窟を探検しているような感覚です。
このレイアウトは、ヤミ市時代の区画の名残なのでしょうか。不勉強で、私の調べた限りでは、労働者の街由来なのか、ヤミ市由来なのか、断片的な知識しか得られませんでした。そのうち、断片的な知識を、きちんと地域と時系列で繋げたいと思います。
このレイアウトは、ヤミ市時代の区画の名残なのでしょうか。不勉強で、私の調べた限りでは、労働者の街由来なのか、ヤミ市由来なのか、断片的な知識しか得られませんでした。そのうち、断片的な知識を、きちんと地域と時系列で繋げたいと思います。
「中華料理 永楽そば」は、戦後の昭和の雰囲気を漂わせるお店です。創業は昭和31年だそうです。が、こちらのお店、元の店名は「中華そば 永楽」だったようです。平成28年に経営が変わったようです。もちろん、昼間から飲めますね。
建物、看板、すき間、それぞれのディテールが、昭和レトロな横丁を盛り上げてくれます。
南側の通りは、南北に走るすずらん通りと交差し、さらに東に延びます。もうそこは、ビルの背面にある隙間のようにしか見えませんが、ここにももちろんお店があります。
すずらん通りを渡るあたりから、その先の路地の狭小なサイズには不釣り合いな巨大な看板が見えます。「お食事は大井一 うまい・やすい ブルドック」。お店の前には、昭和レトロな雰囲気漂う食品サンプルを陳列したショーケースが!飲み屋さんではありませんが、この昭和レトロな街の洋食屋さんの佇まいにノックアウトです!こちらは、戦後数年の昭和24年(1949)創業だそうです。歴史を感じます。
16時の開店直後には、お客さんは、外のテーブルに一人いらっしゃっただけですが、10分後には、散歩のご夫婦や、飲み仲間と思しき団体さんなどが、続々と入ってきて、あっという間に大混雑となりました。
元々は肉屋さんだったのでしょうか。陳列ケースなんかは、肉屋さんそのものです。いつからか立ち飲み屋に変化していったのでしょう。陳列ケースには、コロッケや、チャーシュー、ササミ刺しなど、おつまみばかりです。焼き鳥も焼いてくれます。ササミ刺しが人気なようで、ササミ刺しを頼むお客さんが多いです。私は、メンチカツと、串カツを頼みました。メンチカツは、ドボドボとソースをかけて、一口サイズに切って出してくれます。
元々は肉屋さんだったのでしょうか。陳列ケースなんかは、肉屋さんそのものです。いつからか立ち飲み屋に変化していったのでしょう。陳列ケースには、コロッケや、チャーシュー、ササミ刺しなど、おつまみばかりです。焼き鳥も焼いてくれます。ササミ刺しが人気なようで、ササミ刺しを頼むお客さんが多いです。私は、メンチカツと、串カツを頼みました。メンチカツは、ドボドボとソースをかけて、一口サイズに切って出してくれます。
東小路飲食店街について、足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。
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