オタクの聖地・秋葉原から南へ歩き、神田川を渡ると、なんてことはない通りがあるのですが、実は、非常に味わい深く歴史のある通りなのです。その名も柳原通り。
オタク、昭和レトロ、通りの不思議を探っていくと、江戸時代まで行き着く、とての興味深い通りなのです。
昭和レトロ!メイド!神社!柳原通り
今回は、西端の万世橋からご紹介していきたいと思います。
秋葉原の喧騒を抜けて、万世橋を渡ると東に伸びる路地があります。ここが柳原通りです。
路地に入るとビルの谷間にポツンとトタン建築が・・・
一階は、外も中も、全て自動販売機で埋め尽くされた自動販売機ショップです。田舎に行くと、自動販売機のお店はたまに見かけますが、こんな東京都心のど真ん中にあるとは!?
置いてある自動販売機もいろいろありますが、何か昭和レトロな郷愁を感じさせるような自動販売機もあります。
元々は何だったのでしょうか?飲食店?それとも秋葉原なので電子部品やさん?
そうやって、この柳原通りは、いきなり、町歩きの醍醐味、ここは何でこうなんだろう?何だったのだろう?と想像を掻き立ててくれるのです。
一階は、外も中も、全て自動販売機で埋め尽くされた自動販売機ショップです。田舎に行くと、自動販売機のお店はたまに見かけますが、こんな東京都心のど真ん中にあるとは!?
置いてある自動販売機もいろいろありますが、何か昭和レトロな郷愁を感じさせるような自動販売機もあります。
元々は何だったのでしょうか?飲食店?それとも秋葉原なので電子部品やさん?
そうやって、この柳原通りは、いきなり、町歩きの醍醐味、ここは何でこうなんだろう?何だったのだろう?と想像を掻き立ててくれるのです。
歩いていますと、秋葉原ですから、オーディオ屋さんがあったり。昭和レトロというか、高度成長期レトロというか、何やら郷愁を誘うビルがあったりします。
そして、やはり秋葉原ですから、メイドカフェや、アニソンカフェがあります。
また、歩いていると、山手線の効果下を潜ることになります。
この高架下の、コンクリート、レンガ、鉄骨の構造物たちが、また、昭和レトロを盛り上げます。
この日は、日曜日だったのか、高架下のシャッターは全て閉まっていました。平日も閉まっているのかもしれませんが、分かりません。
高架下を潜ると、「神田ふれあい通り」「神田ふれあい橋」があります。この高架下にある橋の感じが何とも絶妙です。この無機質な一角で「ふれあい」とは・・・
このふれあい橋からは、神田川湖畔に佇む柳森神社が見えます。この柳森神社、なぜか有刺鉄線で囲まれています。神社と有刺鉄線の不釣り合いさ、痛々しさ、これは、グラフィティアートの実写版なのですか?
痛々しさもさることながら、この柳森神社の前には立派な柳が茂っています。この通りが柳原通りだという由縁を感じさせてくれる風景です。江戸切絵図にも、この神田川のほとりの通りには柳と思われる絵が描かれていますので、柳原通りというのだと思われます。
そして、歩いていると右に路地が現れます。入ってみると・・・
この路地は、ドール洋品店あり、アニソンカラオケバーあり、居酒屋あり、そのようなお店が、昭和レトロな建築物に入っていたり、そこそこ大きなトタン建造物があったり、路地の中で、様々な表情を見せる複雑系な路地であります。
トタンと、シルバーのダクトのコントラストが非常に美しいです。
寄り道はさておき、柳原通りに戻ると、
この銅板・看板建築!只者ではない佇まい!しかも、裏地ボタン店!なぜ?なぜ、急にボタン店?周りを見回しても、衣料品店は一切ございませんが!
この柳原通りで、私の探究心をグリグリ刺激してくれたのは、この「岡昌裏地ボタン店」でありました。
答え合わせは、先送りして、その先も紹介しましょう。
そして、またもや看板建築。しかも、こちらの看板建築は、レンガ調のタイル張りの建物で、屋根には、洋館の宮殿をあしらった様なデザイン、玄関の上部には唐破風をあしらった様なデザインと、見事に和洋折衷したデザインの建物です!その立派な建物の側面はトタン!見事です!この建物は、千代田区観光協会のホームページにも紹介されております。ネットの海に残っている千代田区の資料によりますと、昭和3年竣工の、当時は古着屋さんだった様です。もう営業していない様ですが。
何か繋がってきました。裏地ボタン屋さんに、古着屋さん。面影はありませんが、服飾の街だったのでしょうか。
その次に現れるのは、北原ビル。この色合い、玄関の上の丸窓、スクラッチタイルの風合い、昭和レトロ好きには堪りません!しかも、一階には、レトロ感丸出しの喫茶店「アカシア」。この北原ビルの竣工は、ネットの情報を集めると、昭和2年のようです。元々は、北原商店という卸屋さんか何かのようです。一階のアカシアは、昭和48年創業のようです。どちらも存在感凄いです!
このブログを書いた後、2019年4月に「アカシア」は閉店してしまい、この麗しき昭和レトロな北原ビルも破壊され、建て替えとなってしまいました。
北原ビルを過ぎると和泉橋のある昭和通りを渡ります。和泉橋のそばには、柳があり、雰囲気を盛り上げてくれます。そして、ここから東には、通り沿いに柳が植えられていて、往時の柳原通りを偲ばせてくれます。
こちら側にも昭和レトロ物件があります。看板には「揚げたて お好み 天ぷら そば 安く早く 味自慢」。店名は?最高なセンスです!
昭和レトロ物件は、このお店が最東で、これより東は無機質なビル街なのです。
そんな中にも、ちょっと綺麗で風変わりな面白いビルもありました。
謎なのは、このビル街の通り沿いに露店のように古着を吊るして販売しているお店がありました。
謎な一角なのですが、実は、この柳原通りを象徴するような光景なのかもしれません。
では、この柳原通り、昔はどのような通りだったのでしょう?
上の切絵図で横を横断しているのが神田川で、その南側にある通りが、柳原通りです。川沿いの赤い部分には「イナリ」と書いてありますが、多分「柳森神社」だと思われます。また、よく見えないのですが、川沿いの緑色の部分には「柳原」と書いているように見えます。この切絵図には記載がないですが、私が持っている安政6年版の切絵図には、浅草御門の西側に「是ヨリ筋違通ヲ柳原通リト云」と記載があり、通り沿いには柳の絵が描かれています。ここは、江戸時代から柳が繁る柳原通りだったのですね。
和泉橋のそばには、千代田区や、岩本町三丁目町会の説明板があります。それによると、やはり、このあたりの神田川南側には柳が植えられており、柳原土手と言われていたようです。灰色で示されている屋敷は町屋であり、このあたりには、職人さんや、商人が多く住んだようです。そして、次第に、土手沿いに古着などを扱う露店が集まってきたようです。そのような古着を扱う露店は、明治以降は古着を扱う露店から、洋服を扱うお店に変わって行き、この界隈は一大服飾産業の地になったようです。
その名残が、「岡昌裏地ボタン店」であり、元古着商店の「海老原商店」であり、古着を吊るして販売するお店があったりするのです。
柳原通りの地図、アクセス
東京都千代田区岩本町3丁目、東神田2丁目、中央区日本橋馬喰町2丁目
柳原通り 情報交換
柳原通りについて、足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。私も知らないことが多いので、ぜひお願いします。
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