2019年1月20日日曜日

藍染川暗渠②よみせ通り商栄会|かつて夜店で賑わった谷根千の商店街

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 谷根千のメインストリート「谷中銀座」を千駄木方面に歩いて行くとぶつかる通りが「よみせ通り」です。このよみせ通りも、谷根千の観光スポットであります。

ぜ、よみせ通り?

 この「よみせ通り」、夜になると夜店が出るからなのか、夜のお店が多い(飲み屋街)からなのか、どっちなんだ?思っておりましたが、昼間歩いてみてもさして酒場がたくさんあるわけでもないのですし、かと言って、夜に夜店が並ぶのだろうか?と疑問思い、夜散歩をしました。
 千駄木駅方面から入って行きました。昼間歩いていても思っていましたが、看板建築の米屋さんや、そば屋さん、超狭小建築の洋品店など、昭和レトロな雰囲気に、また、下町の生活感が感じられ、心高ぶります。



 この高橋屋米店さんの貫禄と言ったらありません。看板建築に、なんか蔵を模したようなデザイン、たまりません。このような街の米屋さんが、大手スーパーに駆逐されないことを祈ってやみません。そば屋の尾張屋さんは、20時前でしたが、この日は店仕舞いしているようでした。


 コーヒー豆屋のやなか珈琲店さん、ところてん屋さんの三陽食品さん。三陽食品さんは、その場でところてんを突き出してくれるお店で、昼間は、観光客でごった返していますが、さすがにこの時間はお客さんはいません。それにしても、都心で、このようなところてん専門のお店が存在するのが奇跡です。
 いずれにしても、夜のお店でもありませんし、夜店も全然出ていません。



 結局、千駄木方面から谷中銀座と交わるあたりまで歩いても、昼間見ている風景と同じです。寿司屋、居酒屋、立ち飲み屋、洋食屋など、飲食店はいくつかありますが、やはり飲屋街ってほどではありません。どのお店も、地元に根ざした飲食店といった感じですし、やはり、そんなに夜のお店が集積しているような感じもありません。


 谷中銀座と交わるあたりから、そのまま歩いて行っても、やはり、特に飲食店が増えるはずもなく、ましてや、夜店など全くありません。


 相変わらず、看板建築など昭和レトロな建物は多く、歩いていて楽しい通りではあります。ですが、それでしたら、夜歩くよりも、昼間散歩した方が楽しいかもしれません。


 見渡しても、夜店は出ておりませんし、ネオンや赤提灯が派手に灯っている感じもありません。

 もう少し歩くと、少し、もんじゃ、牛もつ屋、ラーメン屋の三軒が並ぶ一角があります。そして、その先を見渡すとボヤ〜と緑色の光が見えます。そこの路地には、よみせ通り以上に夜のお店というか小さな居酒屋が並ぶ、「すずらん通り」があります。


 低層の建物に挟まれた細い路地に、灯りの灯った看板が並んでいる、まさに飲み屋横丁!何も知らないで発見してしまった私は灯りに誘い込まれるように、入っていきました。


 そんなすずらん通りを後にし、よみせ通りに戻り、冷静に考えて、すずらん通りはすずらん通りなのだから、夜店通りではない。ということは、やはり、よみせ通りには夜のお店もなければ、夜店も出ていない。その後も歩いていると、たまに、居酒屋やバーなどがひっそりとあり、多分、主には、地元の方達が利用されているであろうと思われます。私は地元の人間ではありませんが、歩いていて、非常に楽しめる通りです。夜のお店が集まっている通りというより、隠れ家的に、少し飲食店があるという感じの通りです。




 延命地蔵尊の隣に寄り添うように居酒屋があるのも、谷根千っぽくて良い雰囲気です。

ぜ、よみせ通り?(よみせ通りの歴史)


 結局、夜の散策をしても、よみせ通りは、夜のお店が集結しているわけでもなく、夜店(露店)が出ているわけでもありません。
 ご存知の方も多いかと思いますが、夜店通りは、江戸時代以前といいますか、明治時代以前は、藍染川という川が流れていました。上の切絵図で見ると、縦に中央部を流れている川です。現在のよみせ通り周囲は、田んぼや林になっております。ですので、もちろん、夜の飲食店もありませんし、夜店も並ぶはずもない、片田舎です。
 江戸時代までは遡りすぎたかもしれませんが、この藍染川は大正時代に暗渠化(川を埋め立てたり、蓋をしたりすること)して、藍染川は通りとなりました。そこから人が集まり云々・・・と「よみせ通り商栄会」のホームページに言われが書いていました。
 暗渠化されて以降、この辺りに人が集まり、この通りには、八百屋さんや、生活必需品のお店、露店など、たくさんのお店が並ぶ買い物通りとなり、戦前はかなり賑わっていたようです。夕方からは露店に混じって、大道芸人なども集まり、大変な賑わいだったようです。昭和の東京下町の賑わいが想像できます。そのような様から、この通りは、「よみせ通り」と呼ばれるようになったようです。


 当時の名残りかと思われますが、よみせ通りを歩いていますと、古ぼけた木の標識があります。よく見ると、一部解読不明ですが、「出店北域指定時間◯◯◯」「指定地域 自文京区◯◯◯ 至文京区◯◯◯」「出店◯◯◯指定時間◯◯◯」などと書いてあります
 何気なく残されていて、見落としてしまいますが、これは、出店場所、時間指定をしていた標識なのでしょう。電信柱にくくりつけて大事に残されています。

・よみせ通りと文学・・・林芙美子

 その時代に、定職につくことができず貧民街を渡りあるいた女性作家、林芙美子という人がいました。その林芙美子が自身の放浪生活の日記をもとにした「放浪記」に、逢初(あいぞめ)や、夜店などの言葉がたびたび出てきます。林芙美子は、田端に住んでいた時期がありますので、多分、このよみせ通りのことなのではないかと思います。
 「米を一升買いに出る。ついでに風呂敷をさげたまま逢初橋の夜店を歩いてみた。剪花屋、ロシヤパン、ドラ焼屋、魚の干物屋、野菜屋、古本屋、久々で見る散歩道だ。」
 「私は下宿にもどる気がしないので、動坂へ出て、千駄木町の方へ歩く。涼やかな往来を楽隊が行く。逢初から一高の方へ抜けてみる。」
 「帰り、合羽橋へ抜けて、逢初町の方へ出るところで、辻潤の細君だと云うこじまきよさんに逢う。
 逢初の夜店で、ロシア人が油で揚げて白砂糖のついたロシヤパンを売っていた。二つ買う。」
 「戸外を歩いていると吻(はっ)とする。どの往来も打ち水がしてある。今日は逢初の縁日だと、とある八百屋の店先きで人が話しあっている。バナナがうまそうだし、西瓜(すいか)も出ている。」
 「逢初の縁日は
  香具師(やし)がいっぱい
  粉だらけの白い朝鮮飴
  蛍売りに虫売り
  大道手品は喝采でいっぱい
  カーチンメンドの冷やし飴・・・」
 放浪記に出てくるこの界隈の描写から、夜店が出たり、縁日があったり、とても賑やかだったことが分かります。
 戦後のモータリゼーションにより、露店が並んでいることが交通の妨げとなり危険だということで、露店が禁止され、よみせ通りには夜店が無くなったようです。残念ですね。
 

ち寄ったお店

・キッチン マロ


 以前から気なっていた「キッチン・マロ」さんに夕食がてら入ってみました。昭和レトロの郷愁を誘う外観は秀逸です。店内は、カウンターと二人がけのテーブルが数個と、奥に座敷のような小上がりもありました。団体さんが、何回かお店に入ってきましたが、狭くて一緒に座れないせいか、皆さん諦めていました。結局終始、私一人でした。ディナーメニューの「ロースカツ」を頼みました。全く変な意味ではありませんが、全く特徴のない、何の変哲のないロースカツですが、それが、また、このお店の郷愁感、昭和レトロ感と相まって最高な雰囲気です。ええ、この雰囲気には、何もいらないんだと思います。この日は、理由あってアルコール飲めなかったのですが、ここでビールでも飲んで、昭和の郷愁に浸るのも良いんではないでしょうか。このディナーメニューは、コーヒーがセットになっています。

みせ通り商栄会のアクセス、地図



     


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