円通寺坂の中腹にある祥山寺。参道はビルに囲まれ、お堂もビルの奥にあります。
文禄4年(1595)に創建され、寛永11年頃の麹町口拡張により、現在のちに移ってきました。
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四谷絵図 |
江戸切り絵図に、祥山寺の記載がありますが、その南西には「南伊賀丁」、東側には「伊賀町」、そして、掲載した切り絵図は上側が切れていて見えませんが、北にも「伊賀丁」の記載があります。
伊賀・・・そうです、伊賀上野の伊賀です。伊賀上野の武将、服部半蔵の配下の伊賀衆の人たちが住んでいたのです。
伊賀衆ということは、忍者が住んでいたのでしょうか?伊賀には、忍者はもちろんいたでしょうが、忍者、武士、郷士、農民、そのあたりの区別は曖昧でしょうし、その中で、忍びの者を江戸に連れてきたのかも分かりませんし、四谷に忍者がいたのかどうかは分かりませんが、祥山寺は、伊賀衆の菩提寺だったそうです。それゆえ、祥山寺は、忍者寺と呼ばれていたようです。
参道を入ると、どうみても、お堂の側面のようです。南側に正面がありそうなのですが、そもそも、山門を潜って入ってみると、一般の住居のように見えて、うろちょろするのが、気持ち的にはばかれます。
参道を入ると、どうみても、お堂の側面のようです。南側に正面がありそうなのですが、そもそも、山門を潜って入ってみると、一般の住居のように見えて、うろちょろするのが、気持ち的にはばかれます。
周辺は、ビルに囲まれていて、伊賀衆が住んでいた痕跡も無ければ、忍者の名残など何一つありません。近くに服部半蔵が創建し、半蔵の墓のある西念寺があるのみです。
ですが、この周囲には伊賀衆が住んでいたのですし、もしかしたら忍者が住んでいたかもしれません。東京の忍者の里だと勝手に想像しながら、散策しましょう。
祥山寺の地図、アクセス
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