元和5年(1619)に、麹町9丁目清水谷に創建されたお寺です。創建時は、弘法山浄蓮寺と号していましたが、のちに、高見山日宗寺と改められました。
四谷寺町の他寺同様、寛永11年(1645)江戸城外濠拡張のため、この地に移転しました。
昭和の終わり頃まで、清水が湧いており、境内南側には、池があったそうです。この池が、この辺りを流れていた鮫川の源流だったそうです。今は、池もありませんし、清水も湧いていません。
そして、この四谷の谷底の鮫川周辺は、江戸から明治にかけて貧民窟(スラム街)が形成されていたわけです。今では、信じられませんが。
江戸名所図会 |
日宗寺は、汐干観音(真成院)、戒行寺と共に江戸名所図会に描かれていますが、日宗寺境内には、鬼子母神が描かれています。今は、鬼子母神は無いと思われますが、この鬼子母神の辺りに清水が湧いていたものと思われます。
現在は、よく見ないと個人宅と間違えてしまうほどのお寺ですが、江戸の頃は、広い境内に鬼子母神もある大きなお寺だったのでしょうか。
四谷絵図 |
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