元和3年(1617)に麹町清水谷貝塚村に創建されたと言います。このお寺は、創建されてから、この界隈を転々としていたようです。
寛永12年(1635)に、この地に移ったとされていますが、寛文2年(1662)には、南伊賀町といいますから、今よりも少し西に借地して移ったとされています。そして、その後、南の西應寺内に借地し移転。寛文10年(1670)には、北にある正應寺に、明和3年(1766)には、地福院の境内に借地して移ったとあります。地福院という寺院は、今はありませんが、今の東福院あたりなのでしょう。
土地を借りつつ、四谷界隈を転々としていたようですが、今は、立派な境内、本堂を有しています。江戸切り絵図では、本当に借地しているかのように小さく描かれていますが、今では、東福院と同じくらいの境内を有しています。
時の移ろいというのは、いろいろなものを変えてしまうのですね。諸行無常ですわ。
四谷絵図 |
眞英寺の地図、アクセス
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