2020年7月5日日曜日

本山 東本願寺|浅草の浅草寺ほどきらびやかでないにしても、巨大な寺院

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 浅草通りに「東本願寺」の石柱があります。
 ここが、東本願寺の表門だと思われます。東本願寺のホームページによりますと、東本願寺は、江戸語時代に「江戸御坊光瑞寺」として神田に創建されたようです。明暦の大火後、浅草に移転し、「浅草本願寺」という名称になりました。その後、昭和40年に「東京本願寺」に変更され、さらに平成13年に現在の名称の「東本願寺」に変更されました。
 ですので、この石柱は昭和40年までに建てられたものだのだと思われます。


 江戸切り絵図の「今戸箕輪浅草絵図」には、「東本願寺」と記されています。浅草本願寺じゃないのかよ・・・いろいろな呼ばれ方をしていたのでしょうか。

 
 

 そして、残念なことに「江戸名所図会」にも、「東本願寺」と記されていました。
 名所図会に描かれている広く真っ直ぐな参道は、今も同じです。参道から境内、たくさんの人で賑わっている様子が描かれています。


 このまっすぐ延びる参道ごしに、本堂の巨大な瓦屋根が見える景観は圧巻です。


 参道の両側には、長屋のような建物が並んでいます。店舗がいくつかありますが、ほとんど住居のようです。ですが、どの家も一階の間口が広くとられているので、想像するに、以前はお店だったのではないでしょうか?(あくまでも私の勝手な想像ですが)もしそうだとしたら、大寺院の参道ですから、以前は参拝客などが、この参道でワイワイやっていたのでしょうか?
 そんな想像をしながら歩いていると、この長屋の切れ目に小径があり、その奥には、徳本寺満照寺善照寺というお寺がひっそりあります。江戸切絵図にも、この参道沿いにお寺の記載がりますが、参道ぞいの町家の記載はありませんので、その昔は、参道沿いはそのままお寺だったのでしょうか?


 参道沿いにデーンと構えているのではなく、昭和レトロな長屋の切れ目の奥にお寺が見える様が、なんともシャレてます。なんと奥ゆかしいのでしょう。


 今では、この参道沿いには三寺しかありませんが、江戸切絵図には四寺記載されています。また、徳本寺は、そのまま同じ表記ですが、あとの二寺は、それぞれ、万證寺、善正寺と表記されています。


 本堂は、関東大震災で消失してしまい、鉄筋コンクリートで再建され、その後、東京大空襲では、鉄筋コンクリートの外郭は焼失を免れたようです。浅草寺ほどの派手さはありませんが、この巨大寺院も一見の価値はあります。


 また、東本願寺は明治維新後、第一回地方官会議が行われた場所であります。そのような史実にちなみ、昭和12年(1937)に「憲政碑」が境内に建てられました。



東本願寺の地図、アクセス

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