講安寺 山門 |
本郷、東大の裏にある無縁坂。旧岩崎邸庭園のレンガ塀が印象的な坂ですが、その無縁坂の中腹にこの講安寺があります。
山門は、簡素な冠木門ですが、冠木門をくぐると、立派な土蔵造りの本堂があります。
講安寺 本堂 |
講安寺の建築について、境内に文京区教育委員会の立て札があり、次のように記されています。
『講安寺本堂と庫裏(裡) 区指定有形文化財本堂は、社寺建築でありながら土蔵造りである。寺伝にいう宝永5年(1708)から、かりに寛政元年(1789)頃にさがっての建立であったとしても、江戸の町で普及した土蔵造りという防火建築が、多くの災害にあい、また、建て替えられるという歴史的推移のなかで、残ることのできたことは貴重である。
特に、寺院の住宅部分は、改築や新築が頻繁で、昔の姿で残るのは極めて珍しい。ここは幕末(寄進札に文久元年ー1861)のものとはいえ、客殿、庫裏が残り、江戸期の形式をよく保存している。さらに、寺門は戦後再建されたものであるが、旧形式が保たれている。
寺門、本堂、客殿や庫裏に至るすべてが旧規をよく保存し、まれにみる第一級の文化財と言えよう。』
『講安寺本堂および庫裏(付・文書2)
本堂は外壁が漆喰で何度も塗りこめられた土蔵造りである。建造は寺伝によれば宝永5年(1708)とあるが、本堂の欄間彫刻の裏側に寛政元年(1789)の墨書銘のあることから、寛政期(1789〜1801)を下らないと考えられる。
客殿や庫裏は幕末の建造物であるが、本堂と共に江戸期の姿をよく保存している。寺門は戦後に再建されたものであるが、旧形式がよく保たれている。
四代住職顕譽(けんよ)の遺言として防火の戒めの古文書が残され、「類火は格別、寺内門前共に自火の用心専一に致す可き事」とある。』
無縁坂という東大裏のうらびれた坂道の中腹にポツンとありますが、山門も本堂も、特に本堂は寛政期の建築であり、非常に貴重なもののようです。観光地の上野公園や、アメ横からすぐ近くですが、訪れる人はあまりいないでしょう。
江戸切り絵図「本郷絵図」には、現在と同じ場所に描かれています。「加賀宰相殿」は現在の東大。講安寺の南に描かれている「榊原式部大輔」は、現在の「旧岩崎邸庭園」です。
講安寺の地図、アクセス
東京都文京区湯島4−12−13
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