2020年12月6日日曜日

アメ横商店街|東京最大級の闇市跡

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 ついにアメ横について書く時が来ました。アメ横は、たまに通りますが、何しろ、私の中ではテーマが多く、ルーツが闇市、昭和レトロ、飲み屋街、商店街・・・あくまでも私の興味のカテゴリーに関して合致する部分が多いというだけのことですが。また、商店街として見ると、全てアメ横のようで、上野駅前商店街、上野中通り商店街、御徒町駅前通り商店街など、様々な商店街が密接していて何が何だか分かりにくいです。まぁ、別にどこからどこまでがどこの商店街であろうと何も困ることはないのですが。ただ、私の性格上、きっちり切り離したくなるので、調べるのが面倒であります。

アメ横の歴史


 アメ横のある街は、江戸時代は、下級武士「御徒」が多数、長屋に住んでいた街であります。明治になり、上野駅ができ、北日本との玄関口となったわけですが、この辺りは、戦前まで、民家や長屋がひしめく下町でありました。
 北日本の玄関口で、ターミナル駅であった上野駅から御徒町にかけてのガード下には、バラック小屋や、露店などが集まり、営業許可を受けていない闇市が開かれることになりました。闇市は、その名の通り闇ですから、法の支配はなく、闇の支配下におかれます。日本のやくざ、在日華僑、在日朝鮮などの暴力の支配下に置かれることになります。
 戦後の混乱時期には、このような状況のアメ横では、発砲事件が起こるなど、非常に治安が悪かったようです。
 このような状況を打開するため、現在、アメ横センタービルのある場所に、近藤マーケットというマーケットを作り、悪質な店を排除していき浄化が図られたのでした。


アメ横と戦後ファッション

 アメ横という名前には、諸説ありますが、戦後、アメリカ軍の放出物資を扱う商店が多くあったことから、アメリカ横丁と呼ばれるようになったため、アメ横になったという説が一つ。
もう一つは、芋飴のお店が多くあったことから、飴屋横丁に由来するという説。


 アメリカ軍ものを扱う名店「中田商店」や、いまだに数多くあるジーンズショップなどは、アメリカ軍放出物資を扱っていた名残なのです。


 実は、セレクトショップ「SHIPS」の前身は、昭和27年(1952)にアメ横で創業した三浦商店というお店がルーツなのです。アメ横は、戦後のファッション史においても重要な街なのです。


 下の写真は、「JEANS 守屋」。昭和25年(1950)創業。アメリカ軍放出品から、中古品、インポートを扱うようになった老舗。

飲み屋街としてのアメ横


 アメ横には、数多の酒場があります。闇市ルーツは、飲み屋街が定番。そのような雰囲気を見せるのが、アメ横と上野駅前商店街を繋ぐ高架下。
 「もつ焼き大統領」は、昭和25年(1950)創業の老舗もつ焼き屋。その向かいにあるのは、「やきとり文楽」。こちらは、昭和33年(1958)創業。


 文楽のお隣は、酒場ではありませんが、町中華「珍々軒」。創業は、昭和23年(1948)です。
 大統領のお隣は、餃子屋「昇龍」。昭和32年(1957)創業。


 この一角の酒場、飲食店は、戦後の貧しかった時代から、復興を目指していた頃の飲食店がそのまま残っているのです。戦後の昭和そのままなのです。



 珍々軒の脇の高架に挟まれた路地の高架下も酒場がぎっしり入っています。





 オープンスペースのようなお店の酒場や、タイレストランなど、多種多様な酒場があります。


生鮮食品とアメ横

 アメ横で、日本人に強烈に印象付けられているのは、生鮮食品。年末になると、テレビで、アメ横に生鮮食品を買いに来る買い物客でごった返している映像が大量に報道されます。私の頭の中にも、アメ横というと、生鮮食品、特に魚介類ということが染み込まされています。


 確かに、色々なカテゴリーのお店がある中で、生鮮食品のお店も多くあるのですが、なぜ、アメ横で、魚介類?生鮮食品?なのでしょうか?なぜ、年末になると、アメ横に魚介類を買いに行かなければならないのでしょうか?近所で売ってない?


 本当に不思議なのですが、どこからアメ横に魚介類を買いに来るのでしょうか?近くのスーパーや商店街に売ってますよね?安売りするから?叩き売りするから?ここで魚介類を買って、車で持って帰るのでしょうか?まさか、電車で?


 巨大な闇市が巨大な商店街になり、その巨大な商店街に生鮮食品を扱うお店が数多くあり、ただ単に、近くの人達が年末にアメ横に買い出しに来ていたのが、毎年報道されるにつれ、人出が過熱していったのでしょうか。
 年末には、一般のお店は商売上がったりになるため、生鮮食品の商店に店舗を貸し出したりするようです。


アメ横まとめ


 闇市とは、もともと飲食店だけでなく、このように生活物資を売るお店も重要な構成の一部だったわけですが、都内の闇市の成れの果ては、ほとんどが、飲み屋街、横丁になっているような気がします。


 そんな中で、このアメ横は、珍しく、飲食店と生活物資の供給という本来の状態のまま商店街として発展した珍しい存在なのではないでしょうか。


 そして、やはり、私を混乱させるのは、高架下を南北に貫く「アメ横ウェルカムモール」という商店街があったり、それは、アメ横なのか、違うのか。いや、どうでも良いのは分かっています。ですが、これは、アメ横なのか、違うのか。




アメ横の地図、アクセス

東京都台東区上野4丁目、6丁目
 

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