上野中通り商店街は、アメ横と違い、衣料品店が多く、飲食店、食料品店は少なめになっています。アメ横にあるもつ焼き「大統領」や、焼き鳥「文楽」などのような戦後の混乱期から続くような大衆酒場のようなお店もありません。生鮮食品のお店もありません。
そのような点から、やはり、アメ横とは違う商店街なのだなと感じます。
しかしながら、どちらかと言うと、出所不明、コンセプト不明な衣料品店が多く店を構えるところは、アメ横と近いものがあります。
フットウェアのお店が多いのも、アメ横と似通っているかもしれません。特に、スニーカーに関しては、流行を牽引するショップも存在します。あまり良く写っていないですが、上の写真のゴルフボールの左下にあるスニーカーショップは、「ミタスニーカーズ」。
そして、下の写真は、1985年創業のスニーカーショップ「山男フットギア」。
これらのスニーカーショップは、品揃えもさることながら、2000年代に入ると、メーカーとの別注モデルを企画するなど、スニーカーショップの中でも、先端を走るショップなのです。
先ほど、出所不明、コンセプト不明の衣料品店が多いと書いてしまいましたが、訂正いたします。
それにしても、アメ横にしても、上の中通りにしても、なぜ、フットウェアのショップが多いのでしょうか。
浅草に靴屋が多いのは、近くの東墨田が皮革産業地帯で、靴の製造が多いことから、浅草に靴屋が多いと言われますが、上野は、東隅田からはその浅草を挟んでいますから、関係ないような気がします。
ミタスニーカーズは、もともと根津の下駄屋さんですし、山男フットギアの前身は、昭和30年創業のスキー用品店だそうです。今ひとつ、上野で靴屋さんが多い理由がピンと来ません。
Dr.Martensのショップもあります。
江戸切絵図で見る上野中通り商店街
江戸切絵図で、上の辺りは、「東都下谷絵図」に書かれています。不忍池があって、下谷広小路、今で言う、上野広小路があり、その東に一つ入った通りの辺りが、上野中通り商店街だろうと思われます。
更に少し左の水色で囲った所には、マリシ天徳大寺と書いてありますが、これも現在残っています。そして、マリシ天徳大寺の脇には、「マリシテン横丁」と書いてあります。
下谷広小路は、寛永寺の門前ですから、江戸の頃より、大変賑わった地域であります。また、マリシ天徳大寺も、門前の通りが「マリシテン横丁」と呼ばれるほど、江戸の頃より、多くの参拝客で賑わっていました。
上野中通り商店会のホームページによれば、寛永2年(1625)に寛永寺が創建されてから、賑わい始め、法衣、仏壇、染物、足袋屋など、門前町独特のお店の他に、呉服、絵草子、油、煙草、うどん、菓子、旅籠屋などのお店が立ち並んだようです。
そして、元禄の頃には、上野広小路には、料理屋、水茶屋、見世物小屋などが出現し、大繁華街を形成したようです。
上野中通り商店街は、その江戸の大繁華街から続く、歴史ある繁華街の商店街なのです。
上野中通り商店街の地図、アクセス
東京都台東区上野4丁目
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