2020年12月13日日曜日

妙宣山 徳大寺(摩利支天徳大寺)|アメ横という繁華街にポツンと一軒寺

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 アメ横上野中通り商店街の間(正式には上野中通り商店街の中)にあるお寺です。下町、上野のしかもアメ横のゴチャゴチャしたところにポツンと一軒お寺があり、何だかありがたみも半減だななんて思っておりましたが。


 夜は夜で、アメ横の飲み屋街の中で、酔客がたむろする中で、ライトアップされていて、きれいなのですが。下町、アメ横のゴチャゴチャした俗っぽいイメージに引きずられて、何だか妖しい光を放っているように感じてしまいます。


 摩利支天徳大寺がポツンと一軒寺と書きましたが、今ではそうなのですが、江戸の頃まで遡るとそんなことはありませんでした。


 江戸切絵図の「東都下谷絵図」を見ますと、徳大寺は、水色で囲った部分で、今と同じ場所にあります。現在のアメ横と、上野中通り商店街に挟まれた場所にあります。東側は、下級武士が住む町、西側は、下谷広小路に面した町屋、今と変わらない繁華街だったと思われます。
 そのような地域ですが、江戸切絵図上では、ポツンと一軒寺ではなく、この辺りにお寺が点在しています。
 寛永寺門前のこの辺りは、江戸の頃から繁華街でありましたが、お寺が点在する地域でもあったのですね。今となっては、この摩利支天徳大寺しか残っていないということなのです。明治以降の近代化の過程で移転したのでしょうか。この江戸切絵図に書かれている「常在寺」は、現在、豊島区にあります。大正時代に移転したようです。
 江戸末期から、この辺りは、上野戦争の舞台になりましたし、その後は、関東大震災、そして、東京大空襲と、様々な災禍に見舞われています。その過程で、何かあったのでしょうか。


 摩利支天徳大寺も、関東大震災、東京大空襲により、堂宇は焼失してしまったようです。そして、実際に、戦後の混乱期には、この辺りに闇市が形成され、環境の変化も鑑み、移転再建が検討されたようです。しかしながら、この地に留まり、昭和39年に、堂宇が再建され、現在にいたるのです。


 最初の方に、ありがたみも半減とか、妖しい光を放っているとか、ポツンと一軒寺とか、罰当たりなことを書いてしまいましたが、この辺りにあったお寺で唯一残った貴重なありがたいお寺なんです。



 そうは言っても、境内は、看板や、線路に囲まれ、何だかやはり・・・不思議な感じですが。この徳大寺に安置されている摩利支天像は、江戸時代に京都より安置された御尊像であり、聖徳太子が作られたと伝わるものなのです。
 しかも、関東大震災や、東京大空襲などの災禍で、堂宇が焼失したにもかかわらず、この摩利支天像は、焼失を免れてきたといいます。
 凄すぎます、ありがたすぎます。
 そんなありがたい摩利支天像を安置する徳大寺が、江戸の頃から変わらず、アメ横にあるのです。




摩利支天徳大寺の地図、アクセス 

東京都台東区上野4−6−2

 

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