2020年8月30日日曜日

渋谷センター街|若者の街、渋谷の繁華街

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 若者の街、渋谷の若者の溜まり場と化した渋谷センター街。若者だけでなく、人がうじゃうじゃ集まってきます。夜のセンター街の入り口は、街頭、ネオン、巨大液晶ディスプレイ、様々な明かりが雑然と灯っています。この雑然さ、整然としていない様子は、ただの都会ではなく、アジアの未来都市というイメージがしっくりきます。


谷センター街の歴史①江戸時代

 今でこそ、若者の街、人混みでごった返していますが、江戸時代は、渋谷川の西は、田畑が広がる田園地帯でした。今では信じられませんが。下の江戸切り絵図「東都青山絵図」の赤丸あたりがセンター街だと思われます。渋谷川の東側には、大名屋敷や、町家がありますが、渋谷川を渡った西側には、やはり、田畑ばかりが描かれています。センター街は、この切り絵図で見る限り、道の痕跡すらありません。センター街の成り立ちは、田んぼの畦道だったなんていうこともあるのかもしれません。

 下の名所図会は、現在の渋谷区神泉の高台から、道玄坂や、宮益坂(富士見坂)を俯瞰した絵になっています。左上の方にふじみ坂と書かれていますが、これは、現在の宮益坂です。ふじみ坂には、町家がたくさん描かれています。坂下には、渋谷川があり、橋が描かれていますが、渋谷川を渡ると、このありさまです。こんなのどかなところだったのですね。



谷センター街の歴史②昭和以降

 こんなのどかなところでしたが、昭和のはじめ頃から繁華街が形成されていったようです。そして、戦後は宇田川有楽街と呼ばれ、バーやキャバレーなどが多数ある大人の歓楽街として発展しました。その頃の古き良き昭和の雰囲気を残しているのは、門というバーのみです。センター街には、似つかわしくない、落ち着いたバーです。


谷センター街の歴史③昭和〜平成

 今は、若者の街としてすっかり定着した渋谷ですが、1980年代半ば頃から、若者達が集まり始め、新しい文化がここから生まれる場合が多くなりました。
 渋谷の若者文化を大きく捉えると、小中高生の少女文化の発信地の「竹下通り」、中高生のややアウトサイダー文化の発信地「センター街」と大別できるのではないでしょうか。


 1980年代半ばから、センター街には、チーマーと呼ばれる不良グループが集まってきます。このチーマーは、これまでのヤンキーとは、不良という点では同一ですが、その素性とスタイルはまったくことなっていました。


 このチーマー達は、私立高校、付属高校に通う富裕層の高校生でありました。また、スタイルは、革ジャンに、ブーツカットのジーンズ、エンジニアブーツと、アメリカの不良映画のスタイルを取り入れ、従来のヤンキーの特攻服等、日本的なスタイルから、アメリカの不良スタイルとなったのです。特攻服も元を正せば、洋服に和風デザインをあしらったものなので、和洋折衷かもしれませんが、このチーマーは、アウタサイダーなどアメリカの不良映画のスタイルを忠実に再現したスタイルで、それまでの日本独自の不良スタイルとは一線を画したアメリカンスタイルとなりました。題材は、アメリカの少々古い不良映画ですから、懐古趣味的な部分もありますが、当時としては、それがある意味斬新で、オシャレでありました。


 チーマーのやっていることは、暴行、恐喝など、ヤンキーと変わりありませんでしたが、そのオシャレなスタイルから、ファッション雑誌にもそのスタイルが紹介され、その生業以外に、アメカジ、渋カジなどとファッションスタイルとして括られるようになりました。そのため、チーマーの生態、生業はともかく、ファッションは、流行り廃りが激しいですので、アメカジ、渋カジも、10年もすると、やはり古臭くなります。また、チーマーの暴行などのため、センター街は、危険な場所という認識が広がりましたので、監視カメラ設置等、対策も行われ、チーマーは、2000年代前には姿を消しました。


 チーマー全盛期の1990年代初頭、女子中高生は、茶髪、ミニスカート、ルーズソックスというスタイルのコギャルが出現し始めました。また、このコギャル達に、安室奈美恵が人気となり、そのスタイルを取り入れ始めます。浅黒い肌、茶髪、厚底ブーツ。


 チーマーが下火になった1990年代半ば、センター街は、このコギャルがエスカレートし、日焼けサロンで真っ黒に日焼けしたギャル、ガングロが出現し始め、さらに、またまたエスカレートし、黒い肌に、白い唇、白いアイラインを施し、髪を白くなるまでブリーチしたりしたヤマンバなるギャルが出現し、彼女達は、イベサーというグループを作り、チーマーに代わり、センター街を占拠し始めました。男子のアメリカンスタイルから、女子の日本独自のスタイルに取って代わったのです。


 その後、ギャル文化を追いかけるように、ギャルスタイルの男子が出現し始め、彼らは、ギャル男、センターGUYなどと呼ばれるようになりました。


 ギャル文化もやはり、ファッション、流行的側面がありますか、2000年代も半ばになると、姿を消していきます。


 チーマーは、富裕層の不良男子、ギャルは、居場所のない少女達の集まりで、いずれにしても、アウトサイダー的な少年少女発信の文化でありました。その後は、大きな社会現象となるような若者文化は起きておらず、健全な若者が集まる場所になった感があります。東京の中での若者文化という観点で考えると、秋葉原などが新しい文化拠点となったのではないでしょうか。また、若者が以前のように仲間を作り、徒党を組むというよりは、個人化が進んでいるように感じます。


 このように、もともと、センター街は、大人の街でしたし、今では、若者文化の発信地となっていますが、2000年代半ばからは、新しい文化を実は生み出していないような感じがします。また、変化があるのかも知れません。


谷センター街の地図、アクセス

東京都渋谷区宇田川町

     


谷センター街 情報交換


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