浅草の東本願寺周辺にある寺町の中にあるお寺です。この近辺にあるお寺同様コンクリートの入母屋造のお寺です。古いお寺だとは思われますが、江戸切絵図には載っていません。
載ってはいないのですが、似たような名称のお寺で「本光寺」というのが、同じような場所に描かれています。この本光寺は、現在ありません。何か関係あるのでしょうか?分かりません。
境内には、石川啄木の歌碑があります。台東区教育委員会の説明版には、次のように記されています。
「石川啄木歌碑
石川啄木は明治19年(1886)岩手県に生まれる。はじめ明星派の詩人として活躍した。しかし曹洞宗の僧侶であった父が失職したため一家不扶養の責任を負い、郷里の代用教員や北海道の新聞記者を勤め、各地を転々とした。
明治41年(1908)、文学者として身を立てるため上京して創作生活に入り、明治42年からは東京朝日新聞の校正係となった。小説や短歌の創作に励み、明治43年12月には処女歌集「一握の砂」を出版する。生活の現実に根ざし口語を交えた短歌は歌壇に新風を吹き込んだ。
しかし苦しい生活の中で肺結核を患い、明治45年(1912)4月13日に小石川区久堅町の借家で死去した(27才)。親友の土岐善麿(歌人・国文学者)の生家であった縁で、葬儀は等光寺でおこなわれ、啄木一周忌追悼会も当寺でおこなわれた。墓は函館市の立待岬にある。
この歌碑は、啄木生誕70年にあたる昭和30年に建てられた。「一握の砂」から次の句が記される。
浅草の夜のにぎはひにまぎれ入りまぎれ出で来しさびしき心
平成15年3月」
浅草の賑わいとご本人の寂しさとか苦しさとの対比の歌だと思いますが、この歌からもわかるように、浅草は、当寺、大繁華街だったのです。今でも繁華街ですが、現在の街で対比すると、新宿や渋谷のような場所だったのだと思われます。
小さなお寺ですが、思わず歴史に触れられるお寺です。
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