西新宿の熊野神社前の交差点を少し中野方面に歩いていくと、北側に路地がいくつもあるわけですが、その一つが「新宿みのり商店会」なのであります。いや、新宿みのり商店会だったのかもしません。今もその商店会があるのかどうか分かりません。
西新宿の高層ビル群のすぐそばに、こんな低層な住宅街があるんです。まるで下町です。少し歩くと、商店街の遺構のような建物があるんです。いや、今も商店街なのかもしれません。
看板建築の手前に「だんごのやよい」。このだんご屋さんは、実は、以前は、もう少し北にあった「けやき橋商店街」にあっただんご屋さんなのです。けやき橋商店街は、新宿下町の昭和レトロな郷愁を誘う商店街でしたが、平成も後半になりタワーマンションができて、ぶっ潰されてしまったため、このおだんご屋さんは、こちらに移転してきたようです。けやき橋商店街にあった頃は、Always三丁目の夕日のロケに使われたようです。
だんごのやよいの隣の看板建築。歴史を感じますね。奥には床屋さんが入っていますが、手前は、板で閉じられています。
斜向かいには、少し大型の看板建築が。
その看板建築の手前には、「えい月」という和食屋さんが。2020年オープンだそうです。こんな寂れた通りにお店をオープンされる心意気がすごいです。
そして、気になっていた大型看板建築には、「新鮮なくだものヤマキ」の看板がありますが、内部は、もう何もありません。空洞になっていました。果物の専門店があったのですね。果物の専門店で一つのお店が成り立つのですから、新宿みのり商店会の往時の勢いを感じることができます。最盛期には、この細い路地に100軒のお店があったそうですから、今ある郊外のショッピングモールにも引けを取らない数の店舗が、ひしめいていたことになります。ずいぶん賑やかな通りだったのでしょう。
新宿みのり商店会が結成されたのは、戦後の昭和24年(1949)。この頃の新宿は、まだ淀橋の浄水場があり、高層ビルなど無いのどかな下町だったのでしょう。昭和40年(1965)に、淀橋浄水場が廃止になり、西新宿には、高層ビルが立ち並ぶようになったわけです。それから、この西新宿の景観と暮らしが一変していったのでしょう。この界隈には、それまでの新宿の一部が奇跡的に残っているのです。
商店建築もそうですが、このように住宅も、木造瓦屋根の、サザエさんの家のような懐かしい民家も多く残っています。このお宅は、「千鳥の路地裏散歩」という番組で、千鳥の二人がおじゃましていました。
前面がトタンに覆われた物件。こちらも、何かの商店だったのでしょう。
トタン物件のそばには、庚申堂があります。庚申塚には、寛文4年と刻まれていたそうで、1662年から、ここにあることになります。当時から、人の往来の多い通りだったのでしょうか。
庚申堂の先は、T字路になっています。
とりあえず、東の方に歩いて行ってみます。
この通りも、民家み紛れて、往時の看板建築が残っています。その向こうには、高層ビルたちが。新宿でしかあり得ない、昭和レトロの郷愁と、無機質な現代との堆肥。間違えた対比。
お肉屋さん。高層ビルを間近にして町の肉屋さんがあります。谷中銀座などの観光地かされた下町のお肉屋さんには、コロッケなどの惣菜があり、食べながらの散歩ができますが、ここには、そんな軟派な商店はありません。
歩を戻して、東に。昭和レトロ商店街につきものの、お茶屋さんがあります。どれだけ、お茶が必需品だったのでしょうか。
その奥には、床屋さんがありますが、建物を見て下さい!木造建築どころの騒ぎではなく、木板壁の建物です。築何年なのでしょうか?
路地を入ると、また、木板壁の民家。新宿に低層住宅があることですら驚きなのに。
左にある「マルシン食品」。以前は、読んで字の如く、食料品店だったのでしょうが、今は、入り口が自動販売機で潰されています。自動販売機の方が、商売になるってことでしょうか?
この辺りから、遺構のような物件が増えてきます。
新宿みのり商店会の中心街だったのでしょうか。酒場もあります。というか、あったようです。
この盤寅さん、佇まいをみる限り営業していないですかね。ネットで検索してみる限り、2015年は、まだ営業していたようです。老女将が切り盛りしていたようです。旦那さんに先立たれて、女将さんが細々と営業していた感じでしょうか。勝手な想像ですが。
盤寅の隣のよし栄は、調べても分かりません。
その先には、欄干があります。
もう流れていないのですが、新宿みのり商店会と交差するように、和泉川と呼ばれた川が流れていたのです。オリンピックの前年の昭和38年(1963)に、暗渠化されたそうです。
この和泉川を渡る橋は、柳橋と呼ばれていたそうです。今、柳橋そばに、大きな柳がありますが、これは、往時を再現するために植樹されたもののようです。
川が流れる商店街。とても情緒溢れる商店街だったのではないでしょうか。とはいえ、その頃の東京の小川は、ドブ川だったかもしれませんが。それも含めて、昭和の郷愁なのかな。
その和泉川暗渠の脇に、ある建物。この建物、ある意味、70年代文化のモニュメント的存在なんです。
70年代の伝説的ロックバンド、シティポップの先駆けとなったバンド、「はっぴいえんど」のアルバムのジャケットに使われた建物なのです。昭和45年(1970)当時は、この建物、「ゆでめん風間商店」という製麺所であり、アルバムのジャケットにも、看板に「ゆでめん風間商店」と書かれています。こんな歴史的な建物、このまま残っていて欲しいものです。
70年代といえば、新宿は、文化の中心でしたし、こんなしみったれた商店街と、当時の先端文化が交わっていたというのも面白い話です。
「ゆでめん風間商店」の前には、八百屋さん。この建物も、二階部をよく見ると、歴史を感じる建物です。
八百屋さんの奥も、何かお店だったようですね。
その斜向かいにも、商店らしき建物がありますが、入り口をトタンで覆われていたり、シャッターが下りていたり、商店の遺構でしかありません。いつかぶっ壊されてしまうのでしょうか。
その商店長屋に、ダクトと煙突がありました。ネットで調べる限り、金ちゃんという小料理屋があるようです。いや、あったようですかもしれません。土曜の昼間だったので、まだ営業していなかったのかもしれません。でも、営業しているように見えませんね。
また、路地は、行き当たりになり、T字路となります。
このT字路の角には、羽衣湯という銭湯があります。羽衣湯という名の由来は、多分、この路地に、羽衣橋という橋があるから、あったからでしょう。
先ほどの柳橋と同じように、かつて流れていた和泉川にかかっていた橋です。
ここに、60年代初頭までは、小川が流れていたんです。向こうにも欄干が見えますので、橋が多く掛かっていたことになります。
もう、ここら辺は、新宿みのり商店会からは外れているかもしれませんが、少し近辺を散策してみます。
すると、またまたありました。木板壁が。いつからあるのでしょうか。壁に貼られたブリキの広告が、また歴史を感じます。当たり前でしょうが、ふとんの市岡というのは、ネットで検索しても出てきません。
この住宅も、いずれぶっ壊されてしまうのでしょうか。
その先には、ガッチガチに護岸された無機質な神田川が流れています。こ先の和泉川は、この神田川に流れていたのです。
新宿副都心と呼ばれ、日本で群を抜いて高層ビルが立ち並ぶ新宿。その麓には、戦後から高度成長期にかけて、三丁目の夕日みたいな下町があったんです。
新宿みのり商店会の地図、アクセス
東京都新宿区西新宿5丁目
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