この通りの古さを物語るように、叶仏堂の中には、庚申塔があります。中が全くもってうまく撮れませんでしたが、中央に見えるのが庚申塔です。延宝6年(1678)と刻まれていますから、江戸時代初期から、ここにあったということになります。叶仏堂の中の右には、大日如来像があります。
左は、このお堂の謂れが刻まれた石碑があります。この石碑によると、このお堂は、この石碑が建立された昭和43年より、290年前からあったと記されています。ということは、1700年代はじめ前後ということになります。庚申塔が建立された頃に、このお堂も建てられたのでしょう。
境内には、無縁之霊碑があります。ここは、元禄の頃より、この辺りの住民の共同墓地だったそうですが、昭和の時代には、参詣する人もいなくなり、無縁仏として合祀したそうです。江戸時代には近隣住民の共同墓地だったところが、昭和の時代には、参詣する人もいなくなるとは、いろいろ考えさせられます。先祖代々の墓地ではなく、共同墓地に葬られるということですから、貧しい人たちだったのでしょうか。参詣する人がいなくなったということは、近代化の過程で、ここに葬られた人達の子孫は、どこかへ移ってしまったのでしょうか。
叶仏堂の地図、アクセス
東京都大田区西糀谷1−26−1
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