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2021年6月20日日曜日

蒲田八幡神社|太古の昔より神聖な場所であった、ゴチャゴチャ蒲田の神社

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 ゴチャゴチャした大田区蒲田。京急蒲田駅の西側にこんもりと緑多い神聖な場所があります。それが蒲田八幡宮です。

田八幡宮のご由緒

 蒲田八幡宮のサイトによりますと、創建年代は不詳のようです。
 考えられることは、境内に小円墳があったことから、ずいぶん古くから、この辺りの聖地として信仰の場であったことが考えられるとのことです。縄文時代の原始信仰の斎場が現在の形になったと考えられるそうです。多摩川流域は、古墳が多く、太古の昔から人が住み、文化も進んでいたのでしょう。


 そのような背景の中、慶長年間に蒲田新宿村という村ができ、同じ蒲田にある薭田神社の行基作と伝わる神体像の内の一体をお祀りしたそうで、そのようなことから、慶長5年(1600)を鎮座と定めているようです。蒲田新宿村の神社ですから、新宿八幡神社と言われていたそうです。
 

 東京大空襲で、社殿は焼失してしまいましたが、昭和33年に再建されました。
 



祭神

誉田別命(応神天皇)



田八幡宮地図、アクセス

東京都大田区蒲田4−18−18
 

穴守ふれあい通りSANSAN会|羽田の下町商店街

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 京急空港線の穴守稲荷駅の東側に、線路と交差する通りが「穴守ふれあい通りSANSAN会」という商店街です。穴守稲荷神社の鳥居を意識した朱塗りの街灯が印象的です。


 カラーで舗装された通りは、小綺麗ではありますが、閑散とした感じは否めません。
 元は、商店が多く活気があったのかどうなのか、分かりませんが、マンションが多い印象です


 穴守稲荷駅は、明治35年(1902)開業の古い駅ですが、駅はこの辺りを転々として今の場所に落ち着いたのが、昭和31年(1956)です。それから、この商店街が成立したのか、どうなのかもよく分かりません。
 古い商店建築も残っていますが、あまりありません。ですので、何も想像することもできません。


 商店街を、京急線が横切るため、踏切があります。


 駅前には、穴守稲荷神社を意識した鳥居があります。

守ふれあい通りSANSAN会の地図、アクセス

東京都大田区羽田4丁目
 

穴守稲荷神社|羽田の神社テーマパーク

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守稲荷神社の御由緒(鈴木新田と穴守稲荷)

 江戸時代に、羽田を干拓した鈴木家の土地に建てられた祠が始まりです。
 低湿地であった現在の羽田空港あたりを干拓し、新田開発したのが鈴木弥五右衛門です。羽田空港となった今では田んぼはありませんが、開発された新田は、鈴木新田と呼ばれていました。


 江戸時代の羽田は、上に描かれているような低湿地だったのです。ここに今は、羽田空港があるんです。考えられないですね。
 こんな所を干拓して新田を作ったわけですので、高波が生じた時は、堤防に穴が開き海水が浸水する被害が多かったそうです。そのような高波被害から守るために、お稲荷さんをお祀りしたそうです。それ以来、堤防に穴が開くことがなくなったので、穴守稲荷と呼ばれるようになったそうです。
 穴守稲荷は、文字通り、穴を守るということで、女性を性病から守るとの俗説も生まれ、遊女の信仰も集めたようです。



 緑の参道をくぐり抜けると、社殿があります。



治以降の穴守稲荷神社

 江戸時代は、小さな祠でしたが、明治10年(1877)に、羽田の人々により社殿が建てられました。この辺りは海水浴場も多くあり、その上、近くで温泉が湧いたことにより、周辺が賑わい始めたそうです。競馬場や遊園地などもでき、東京のレジャースポットの一つとしてかなり賑わったようです。旅館や芸者の置屋なども近くにあったようです。

後の穴守稲荷神社

 羽田空港の場所にあった穴守稲荷ですが、終戦後、鈴木新田などがあった場所は、GHQにより接収されることになりました。昭和20年(1945)9月、住民に48時間以内に退去するように命令が下りました。そして、創建の地の穴守稲荷は破壊されました。


 創建当時の穴守稲荷は破壊されたのですが、穴守稲荷の大鳥居は、破壊しようとしたところ、工事中に作業員が怪我をしたり、工事責任者が病死したりしたため、「穴守さまのたたり」とされ、また結局撤去しようとしても撤去できないため、GHQも諦め、大鳥居だけ創建の地に残されました。
 ですが、結局、大鳥居は平成11年(1999)に移設され、現在の地にあります。扁額も、もとは「穴守神社」と書かれていたのですが、移設後に「平和」となりました。平和・・・陳腐ですね。
 強制退去の後、一旦、羽田神社に合祀されましたが、昭和23年(1948)には、現在の地に仮社殿を造り、移転しました。昭和39年(1964)には、現在の社殿が完成しました。


 社殿の脇には、必勝稲荷、開運稲荷、出世稲荷、繁栄稲荷など、恥ずかしくなるほどどストレートなお稲荷さんがあります。

本鳥居


 また、社殿の脇には、千本鳥居があります。
 穴守稲荷では、願い事があると鳥居を寄進したそうで、戦前の創建の地にあった当時の穴守稲荷には、数万本の鳥居があったそうです。千本鳥居と言いますが、今となっては数万本どころか、千本もありません。


 数は少なくとも、朱色の鳥居の並ぶ様は美しいですね。

之宮

 千本鳥居の奥には奥之宮があります。


 ミニ鳥居がたくさん奉納されています。


 この奥之宮には、御神砂という砂があります。この砂を持ち帰るとご利益があるそうです。
 言い伝えによると、羽田浦の漁師の老翁が漁から帰って来ると、魚籠には湿った砂が残ってるだけで釣ったはずの魚がいなくなってしまう日々が続いたそうです。村人たちに相談したところ、狐の仕業ということになり、穴守稲荷を囲んで狐を捕らえたそうです。ですが、老翁は、狐をゆるし逃したそうです。それから、老翁は大量に恵まれ、そして魚籠には少しの砂が、いつも入っており、その砂を庭に撒くと千客万来し、この老翁は富を得たそうです。そのような言い伝えに由来する御神砂です。

荷山


 そして、奥之宮のさらに奥には、築山の稲荷山があります。この稲荷山は、令和2年(2020)に完成していますが、実は、戦前の穴守稲荷にも築山の稲荷山があったのです。穴守稲荷の戦前の姿が再現された感じでしょうか。



 稲荷山下には、狐塚と、福徳稲荷があります。




 何だか乱雑に置かれているようですが、このミニ鳥居や、狐さんたち。これも奉納されているものなのでしょうか。


 中腹にお稲荷さんが整然と並んでいます。築山稲荷、幸稲荷、末廣稲荷、航空稲荷。やはり、羽田ですから、航空稲荷があるのですね。



 稲荷山の頂には、穴守稲荷上社、御嶽神社があります。
 頂からの眺めは、ビルだらけで、決して良い眺めだとは言えません。



 稲荷山も再現され、穴守稲荷は、戦前の神社テーマパーク的な要素が復活して観光としても楽しめる神社となってきています。

祭神

豊受姫命(とようけひめのみこと)

大祭

11月3日

守稲荷神社の地図、アクセス

東京都大田区羽田5−2−7

 

2021年6月19日土曜日

三徳稲荷大明神|羽田、穴守稲荷の向かいのお稲荷さん

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 大田区羽田の穴守稲荷の向かいの民家にお稲荷さんがあります。


 民家なのか、それとも集会所のような建物なのか、よく分かりませんでしたが、開放されていたので勝手に入りました。民家だったら、不法侵入になるのか・・・


 鳥居が並んでいる感じ、もう少しうまく撮れれば良かったのですが。


 扁額には、三徳稲荷大明神と書いてありました。大田区を散策しているとお稲荷さんが多いなと感じます。

徳稲荷大明神地図、アクセス

東京都大田区羽田5−3−15