2021年6月12日土曜日

羽田神社|羽田だから、航空安全にご利益のある神社

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田神社のご由緒


 羽田神社の北隣にある自性院の項にも書きましたが、江戸以前、自性院の境内にあった牛頭天王社が、羽田神社の前進になります。明治維新の神仏分離により、牛頭天王社も、自性院から分離され、八雲神社として独立することになり、明治40年(1907)に、羽田神社と改称しました。


 前身の牛頭天王社の由来は古く、鎌倉時代に遡ります。当時、この羽田浦辺りを領していた行方与次郎(なめかたよじろう)が牛頭天王を祀ったのが始まりとされています。
 行方氏は、荘園を管理する武士であったようですし、また、この辺りの半漁半農の人々を率いる水軍の将であったとも伝わっています。


 狛犬。台座には、文政十二年寄進と、明治十年再◯と刻まれています。ということは、まだ牛頭天王社であった頃に寄進された狛犬ということでしょうか。



 現在の社殿は、昭和63年(1988)に建てられたものです。

祭神

須佐之男命
稲田姫命

利益

 須佐之男命と稲田姫命の夫婦神を祀っていますから、縁結びや、夫婦和合にご利益があると言われています。
 また、羽田空港からほど近いことから、航空安全にもご利益があると言われています。パイロットや、キャビンアテンダントの人たちのも参拝も多いようです。

田富士


 社殿の脇に、羽田富士があります。富士塚は、富士山信仰の富士講によって、江戸時代、都内各地に造られた築山です。この羽田富士は、明治初頭に造られたものです。


 富士山の溶岩を一部使って造られているそうです。

田神社の境内社


 鈴納稲荷神社。天明5年(1785)に創建された稲荷です。羽田猟師町の名主、鈴木弥五右衛門が開梱した鈴木新田に建てられました。
 そもそも、この鈴木新田は、現在の東京モノレールの整備場と天空橋の間にあったのですが、戦後すぐの昭和20年9月に、GHQに接収され、その辺りにあった鈴納稲荷神社、民家など含めてブルドーザーでぶち壊され、Haneda Army Airbaseができたのです。
 GHQに破壊された後、昭和31年(1956)に、ようやく羽田神社の境内に再建されました。


 増田稲荷神社。環状8号線と、首都高横羽線が交わる場所にありましたが、戦後の道路や線路の拡幅のため、羽田神社の境内に移転されたそうです。この増田稲荷神社も鈴納稲荷神社と同じように、江戸時代に、増田市左衛門により開梱された増田新田の一角にあったそうです。


 日枝神社。江戸中期の創建。太平洋戦争で焼失して後、戦後は、この辺りを転々としたようです。羽田西町、前河原地区の守護神として祀られていたと言いますから、元は、もう少し東方にあったのではないでしょうか。


 羽田稲荷神社お稲荷さんの手前にある説明板には、「現つばさ高校辺りにあった井上軍左衛門宅の庭内神社として祀られていましたが」と記されています。そもそも井上軍左衛門とは誰なのか分かりませんが、庭内にお稲荷さんがあるとは、そこそこのお方だったのでしょう。

田神社の地図、アクセス

東京都大田区本羽田3−9−12
 

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