自性院には、かつて牛頭天王社があり、羽田の総鎮守として祀られていました。明治維新の神仏分離により、牛頭天王社は、八雲神社として独立し、さらに、現在では、羽田神社として発展しています。
そうやって分離されたのですが、昭和4年(1929)に、大森の弁天神社の社殿が、自性院の境内に移築され、牛頭天王堂に転用されることになります。明治維新では分離されましたが、その後、分離政策が緩んで、習合信仰が一部見られたのでしょうか。私、詳しくなくてよく分かりません。
この牛頭天王堂、写真写りがとても悪いのですが、歴史的な価値は非常に高いのです。文久元年(1861)に、大森の弁天神社の社殿として建てられたものです。向拝の軒唐破風の下の弁財天の彫刻や、龍の彫刻がとても素晴らしいです。
常榮山 自性院 本覚寺の地図、アクセス
東京都大田区本羽田3−9−10
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