2021年5月5日水曜日

ときわ通り|北千住駅西口の飲み屋横丁

 ホーム飲み屋街>ときわ通り



 北千住が、日光街道の千住宿という宿場町として栄えたという歴史的背景は、語り尽くされたことでありますので割愛します。そして、北千住駅の西口、東口、両面には、酒場がぎっしりとあり、特に西口のときわ通りは、細い路地に所狭しと酒場が軒を連ね、しかも老舗の名酒場と呼ばれる酒場が多数あるということも語り尽くされています。ですが、ときわ通をカタログに追加したいので、語り尽くされた話をします。
 上の永見という看板のお店も、老舗の名酒場の一つで「千住の永見」というお店。ときわ通りで最古参になる昭和23年(1948)創業だそうです。さすがに、当時は、まだこのように酒場が林立しておらず、酒場はこのお店くらいだったようです。




 関西風串カツの「天七」。昭和50年(1975)創業。かなりの老舗ですが、戦後すぐ創業の「千住の永見」に比べると20年以上若いです。


 ときわ通りからは、さらに細い路地が枝分かれしており、そこにもぎっしり酒場があります。


 ときわ通りは、昭和な下町の大衆酒場に混じって、キャバクラなどの接待を伴うお店もありますが、「大衆酒蔵 幸楽」は、昭和43年(1968)創業の下町大衆酒場です。下町のハイボール、焼酎ハイボールの幸楽ボールが名物です。


 このような細い路地に酒場がぎっしり詰まった横丁は、戦後闇市の名残である場合が多いですが、このときわ通りはどうなのでしょう。
 「盛り場はヤミ市から生まれた(青弓社刊)」によれば、1946年、北千住駅前には約400の露店があったそうですから、神田や池袋駅前と肩を並べるほどの露店数だったようです。しかしながら、その本以外に、北千住の露店やヤミ市について言及しているものがありません。


 ネットを探し回ったら、ハモニカ横丁というサイトの日本横丁フォーラム「横丁インタビューズ北千住」というページにありました。「ヤミ屋をやっている人が、この辺でも結構いました。有名な千住の永見さんは、この通りで味噌を売ってました。商売替えして飲食店になったんです。」
 見つかったのは、この一文だけですが、最古参の「千住の永見」がヤミ屋から酒場に変わっていったということだけ分かりました。





 歴史のありそうなスナックも点在しています。味のあるママが迎えてくれそうです。




 この下町飲み屋横丁に、なぜか小さな古着屋。このときわ通りに古着屋というか洋服屋は、この一軒のみ。こんな大衆酒場街に古着を買いに来る人がいるのが不思議。



 紫色の看板が眩しいこちらのお店は、ゲイバー だそうです。奥まで進むと、下町大衆酒場だけには止まらない、懐深い通りであることが分かります。



 門構えの立派なセブンスター。ピンサロらしいです。
Rettyで北千住のグルメを検索 


きわ通り(飲み屋横丁)の地図、アクセス

東京都足立区千住1丁目、2丁目

     


きわ通り(飲み屋横丁) 情報交換


ときわ通り(飲み屋横丁)について、足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿

こちらからコメント、情報をお願いします。