2022年2月23日水曜日

田端高台通り商店会|かつて文士が暮らした街、田端の寂れたレトロ商店街

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 田端駅北口前にある江戸坂を登ると、田端高台通り商店街。


 田端駅の西側には、かつて、芥川龍之介や、室生犀星をはじめとする文筆家や、陶芸家、画家など、文化人が多く暮らした町でした。田端高台通りにも暮らした文化人がいたようですが、何も残っていません。
 何も残っていなくても、文化人が多く暮らした街ですから、そのような文化人が集まったり利用したお店はないかなと下調べしましたが、そのようなお店も無いようです。そりゃそうです、文化人が多く暮らしたのは、明治終わり頃から昭和の初めくらいの短い間だけですし、その後、戦争で、この辺りも焼かれていますから、文化的な歴史は、記憶だけということになります。
 それでも何かないかと出かけました。


 江戸坂を登り切ってすぐ左手に、露月亭という茶屋があったそうです。田端に暮らした陶芸家の板谷波山氏が無名時代に、この露月亭で、飛鳥焼きの徳利や猪口を売ったことがあるそうです。露月亭は、その後、白亜堂という喫茶店に変わったそうでしが、今は、何もありません。


 何かの商店だったんだろうなと思われる建物をしみじみ眺めていると、その脇に、何やら酒場の看板のようなものが出ています。私の散策に、途中で一杯はつきものなのですが、いや、呑むために散策しているのかもしれませんが。田端高台通りは、下調べした限りでは、酒場があまりなく、しかも昼間からやっているところは皆無なので、今回の散策に関しては、呑むことは諦めていたのですが。


 定食屋なのかなと思いましたが、という店名の書いた看板には、清酒澤正宗だの、FOODに冷奴だの、味噌きゅうりだの、これ、居酒屋としか考えられません。一度入ったら出にくくないか?この佇まいだと小料理屋みたいで高くつかないか?そもそもやっているのか?様々な自問自答を切り返しましたが、これを逃したら、田端高台通りでは酒は飲めまいと覚悟を決め、勇気を振り絞り引き戸を引いてみた。
 「開いてますか?」と聞いてみると、お世辞にも愛想がいいとは言えない女将さんが、「飲み屋ですけど」と。やはり、定食屋と間違える人が多いのでしょうか、いきなり飲み屋ですけどと釘を刺されましたが、私は飲みに来たのでその釘で良かったわけで、お店に入りました。
 狭い店内は、6人掛けくらいのコの字のカウンター。女将さん、終始無愛想で、弱気な私は圧倒されましたが、なんとか、瓶ビールと、竜田揚げ、味噌きゅうりを注文することができました。


 写真を撮るのも何か言われるんじゃないかとタイミングを見計らいながら、食べながら、やっと食べかけの竜田揚げと、味噌きゅうりを摂ることができました。
 女将さんの無愛想さとは裏腹に、竜田揚げ、衣にしっかり下味がついていて、カリッと揚がっていて、美味かったです。味噌きゅうりすら、味噌はありふれた味噌かもしれませんが、なんだか美味かったです。
 終始、女将さんとはコミュニケーションが取れぬまま、お店を後にしました。こんなに小さなお店で、女将さんと何事も交わさないというのも珍しいなと思いつつ、まぁ、コミュニケーションとってしまったら、お店から出にくくなってしまうので、それでよかったのかな。今日は、雨の予報だし、散策できなくなってしまう。
 後で調べたら、このお店は、朝9時から、19時までの営業のようです。酒場の少ない、呑んべい商店街でもない田端高台商店街において、朝から飲める稀有なお店なのです。もともと、酒屋の一角で立ち飲みをやっていたお店があったところを引き継いでやっているようです。ということは、大通りにあった手前の商店のような建物が酒屋だったのか。散策の昼飲みが重要な私にとっては、このお店との出会いは貴重な発見でした。この田端に昼のみの需要があるということは、どういうことなのか、昼のみというより、朝から飲めるというのは、どういうことなのか。とはいえ、この一軒だけなのですが。


 巡る疑問をあとにして、田端高台通りの散策をスタートしました。


 寿司屋がありましたが、どうやらコロナ禍に閉店したようです。


 田端高台通り唯一のお寺、萬栄寺。


 萬栄寺の隣には、詩人で評論家の福士幸次郎氏のお宅があったようです。この福士幸次郎のお宅に、詩人のサトウハチロー氏が一時、同居していたそうです。意外と狭い敷地ですね。もっとあったのかな?


 そば処浅野屋。そば屋があります。どうやら、後で調べてみると、このそば屋、創業大正5年(1916)らしい。そして、芥川龍之介も贔屓にしていたようです。もっと調べてから散策すればよかった・・・。ここでそばを食べたかった・・・。文化人が利用したお店が残っていたのです!酒を飲むことしか考えてなかった・・・


 看板建築が並んでいます。かつては、ずっと看板建築が並んでいて賑やかだったのでしょうか。


 このお店は何なのか?草履が店先に下げてあり、観光客のお土産でも売っているのかと見紛う外観でありますが、田端に観光客なんて来ないでしょう。そして、店内を覗くと、サンダルだらけ。サンダルばかり売っています。Googleで調べると、このお店、ファッションサンダルふじやというお店のようです。スゴイ!サンダルだけで、商売している!どれだけの需要があるのだろうか。商店街、恐るべしです。



 大多数の商店街がそうですが、まぁ活気のないこと。人もいなけりゃ、車通りも少ない。


 田端高台通りの中でも、一際目立つ三島屋魚店。三島屋という食堂があると思ってたんですが、看板には魚店と。不思議な店名ですが、一階は魚屋さんで、そもそもが魚屋さんなんだそうで、2000年代に入って、二階で割烹を始めたのだそうです。魚屋さんとしては、1940年代から続く老舗だそうです。年季の入った建物がシブいです。



 MUSIC PUB おたまじゃくし。ひらがなの店名から、ほのかに80年代の香りがします。こちら、実は、ヴィーナスというバンドにいたギタリストとヴォーカルの方がやってらっしゃるお店だそうです。
 ヴィーナスといって、ピンとくる人は、50代以上の人だと思います。ヴィーナスというバンドは、そもそもビーナスというバンドで1974年に結成されました。このバンド、バンド名や、メンバーチェンジを繰り返し、80年代、バンド名がザ・ヴィーナスに変更され、「キッスは目にして」という歌が、大ヒットしました。
 ただ、お店をやられている方は、80年代の前の世代のメンバーの方のようですが。まぁ、私含め、ある一定以上の年代の方には、多少興味を引くお店かな。


 とても風格のある建物。何屋さんだったのだろう。


 マンション、住宅に挟まれたノスタルジー。さかいや豆腐店は、2007年に放送されたアド街ック天国で紹介されたお店です。昭和36年創業の老舗豆腐店とのことでしたが、やっているのでしょうか。


 がっちりした白亜の看板建築に、金文字でモードアトリエ・シマと書かれたガラスの入り口。何だか、この無骨さがカッコイイ。中、空っぽでしたので何もやってないのでしょうが、モードアトリエって何のお店だったのでしょう。


 田端高台通りを歩いていて一番驚いたのは、このギャラリー。この下町、過去に文士たちが暮らし、そして流行とはほど遠くなった田端にあるアートギャラリー。しかも古典的なアート作品ではなくて、カウンターカルチャー的なアート作品を展示しています。また、洋服など、カウンターカルチャー的なアーティストのいろいろな作品が販売されています。
 流行の最先端でない街、流行、ファッションとは程遠い街、田端に、こんなギャラリーがあるんですね。


端高台通り商店会の地図、アクセス

東京都北区田端5丁目、6丁目
 

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