2022年9月4日日曜日

慈雲山 無量院 龍眼寺(萩寺)|水害、震災、戦災で破壊されてしまった風光明媚だったお寺

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 横十間川沿いの美しい土塀(土塀ではないと思います。土塀だったら風情あるな・・)。
 龍眼寺のサイトによれば、江戸初期に住職が百種類もの萩を諸国から集めて境内に植えたことから、萩寺として多くの文人墨客が訪れたと書かれています。


 江戸名所図会には、このような賑わいで描かれています。境内ではお茶を飲みながら萩を愛でている人が描かれていたり、境内には池があり、そこから小川が流れている様子が描かれています。
 明治、大正期に大水害にあったり、関東大震災にあったり、そして太平洋戦争の空襲で被災したりしたため、この江戸時代の風光明媚な境内は破壊されてしまったようです。


 江戸切絵図の「深川絵図」には、現在と同じ亀戸天神の北に龍眼寺があります。


 江戸名所図会に、あれほど風光明媚で、賑わいのある様子が描かれていますが、現在の龍眼寺はというと、緑は多いものの横十間川のほとりでひっそりと佇んでいます。


 境内の広さ的にも、江戸名所図会にあるように池があったり小川が流れるほど広くは感じない。先に書いたように天災、戦災で、萩もほとんどなくなってしまったそうですが、生き残った萩を根分して増やしていっているようです。草木にうとい私には、どれが萩なのか分かりませんが、萩のシーズンには、往時のように賑わうのでしょうか。




 お寺の創建は古く、応永2年(1395)であり、本尊は平安時代末期から鎌倉時代初期の作とされる木造の聖観音菩薩立像。この辺りはその昔、柳島村といっており、当寺は、創建時は柳源寺(りゅうげんじ)と書いたそうですが、その後、龍眼寺(りゅうげんじ)に変わったそうです。


 万治2年(1659)と銘された庚申塔。


雲山 無量院 龍眼寺(萩寺)の地図、アクセス

東京都江東区亀戸3−34−2

     


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