ラベル 江東区 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 江東区 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年12月22日金曜日

みたかや酒場|森下の地元の人で賑わう昭和酒場

 ホームローカル酒場>みたかや酒場


 東京でドヤ街といったら、それはもう山谷なのだが、その山谷ですら、ドヤ街としての機能は終わりつつあり、街も変わりつつある。時代が変われば街の風情も変わり、大変だったその頃の文化を懐かしむという風情も出てくる。
 山谷はドヤ街としての規模も大きかったので、よく知られているし、労働者向けの風情ある酒場もまだまだ多く残っている。ただ、東京のドヤ街は山谷だけではなく、都内に点在していた。このみたかや酒場がある江東区森下も、大正の頃から高度成長期までは、山谷ほどの規模ではないが、高橋ドヤ街と呼ばれるドヤ街だったのだ。
 路地裏にビジネスホテルがポツポツっとあるのは、簡易宿泊所の名残りなんだろう。そして、山谷のように労働者向けの酒場が残っているかと言えば、そうでもない。ドヤ街としての規模が小さかったから、もともとそんなに多くなかったのかも知れない。
 みたかや酒場は、ネットでの情報をもとにすると昭和49年(1974)の創業のようだ。高度経済成長が終わった頃。ドヤ街としてはまだ機能していた頃なのかな。そんな時期に創業したということだ。
 ドヤ街には、風情のある名酒場がある。みたかや酒場も、そんな風情を残した名酒場だ。


 20時過ぎていたので、もう入れないんじゃないかと、師走の寒空の中を急いで歩いた。
 引戸を開けると、カウンターも奥のテーブルも大賑わい。老若男女入り乱れての大盛況だ。かろうじてカウンターの一席が空いていたので、入れてもらった。


 ビールは赤星。いつも通りポテトサラダ。ポテトサラダにベチョっとマヨネーズが添えてあって、ジャンクな食欲を刺激する。その上、ソースまで渡された。
 ポテトサラダにソースはかけたことないんだが、折角なので、途中からソースをかけて味変。うーん、ジャンキー。


 焼酎ハイボール。ソーダは瓶で渡されて自己調合するスタイルだ。焼酎は黄色い何かを入れてウイスキー色にしている下町独特のアレではなく、無色透明の焼酎そのもの。
 ソーダを入れると、その泡沫が美しい。


 下町の老舗酒場、地元の先輩たちが静かに飲んでいるのを想像してたのだが、そんな先輩たちよりも、地元の若い世代のお客さんが多いようで、活気にあふれた老舗酒場だ。
 なぜ、地元の人だとわかるのか?
 大将や、おそらくその息子さんらしき若大将が、お客さんを名前で呼んでるから。地元の友達のノリだ。


食べたもの

赤星 660円
焼酎ハイボール 440円
ポテトサラダ 400円
牛にこみ 500円


たかや酒場の地図、アクセス

東京都江東区森下4−20−3

たかや酒場 情報交換

みたかや酒場ついて、足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。私も知らないことが多いので、ぜひお願いします。

2023年1月4日水曜日

亀戸水神宮|室町時代創建の水神様

 ホーム東京の神社>亀戸水神宮


 亀戸の神社といえば亀戸天神を思い浮かべますが、日本には当たり前のようにあちらこらに神社があるもので、この亀戸水神宮は、亀戸の住宅街にひっそりとあります。
 ひっそりとは言うものの、水神宮の近くには東部亀戸線の亀戸水神の駅がありますから、亀戸天神に次いで亀戸水神の名前は知られているのではないでしょうか。


 まぁ名前が知られているかもしれませんが、こぢんまりとした神社で、創建年代も定かでない。境内に書かれいてるご由緒には室町時代の享禄年間(1528−1532)に創建されたらしいと書かれています。その当時、新田開墾の際に土民(なんかすごい書き方だな)が水害を免れるために水神を勧請したのだそうです。


 亀戸は、古くは水で囲まれた低地の島であったので、堤防として堤が設けられていたようで、その堤の上に亀戸水神宮が建てられたんだそうです。確かに北側の道路が少し低くなっているので、堤だったのかなと思わせる地形です。


 現在は、隅田川や、荒川の護岸は非常にしっかりしているので、この辺で水害が発生したなんて聞くことはありません。そうするとこの水神宮の意味合いがもうないのか・・・なんて無粋なことは考える余地もなく、手入れの行き届いた境内に、地元の方々が大事にしていることが分かります。


 境内には、『「亀戸あさくさ古道」を訪ねて』と言う案内図が掲示されていますが、亀戸水神宮の脇の道は古くからある通りだったようです。今でも水神通りと呼ばれているその脇道は、かつては商店街だったようで、とても賑わいのある通りだったようです。


戸水神宮の地図、アクセス

東京都江東区亀戸4−11−19

戸水神宮 情報交換

亀戸水神宮について、勝手な感想を書いてしまっています。皆様の訪れた感想、また足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。

亀七通り(亀戸七丁目商店会)|日立の大工場のお膝元だった下町商店街

 ホーム東京の商店街>亀七通り(亀戸七丁目商店会)


 京葉道路から亀戸中央公園までの細い通りの商店街。京葉道路がわの入り口には大きく立派なアーチがかかっているのですが、看板の文字は薄れていて、時代の流れと無常を感じてしまいます。


 アーチの裏側は、「亀七通り」の文字がくっきりと映えています。日当たりの問題なのかな。街灯も立派で、電灯が三連になっており、商店街によくあるスズランを模した街灯のよう。


 ただ、入口の薄れた文字が象徴しているように、やはり通りは閑散としているどころか、お店もやりきれなくなったのか、あんまり無い。


 通りの中程に来ると飲食店がポツポツと。


 そば屋と居酒屋が連なっていたのですが、やってるのはどうやらそば屋だけみたい。飲食街的な通りだったのかな。


 住宅が浸潤した通りに看板建築が少し残る。


 レトロな出立のお菓子のニッタ。ネットで検索するとチェーン展開していたのか、小岩に同じお店があるようだ。亀七通りの方は閉店してるみたい。
 その向こうにある中華一番。これもやってないみたい。やっていたら是非ともよってみたかった出立の町中華。


 ほとんどシャッターが閉まっている看板建築。




 お米屋発見。飲食店だけでなく、生活に根ざした商店もあるようだ。



 庇がダイナミックにはげ落ちた看板建築。その奥には中華料理ふじやがあるが、これもイェってないみたい。



 突然、硬派な包丁職人のお店吉實。この商店街がバラエティ豊かだったのかもしれないと思わせる。


 さしてお店のないまま、亀七通りは亀戸中央公園にぶつかる。こちら側のアーチは背が低く、両面の文字もくっきりしていて存在感がハンパない。この辺りも住宅やマンションに侵されている。看板の下には、商店であったであろう建物が遺物のように残っている。


 亀戸駅南口の商店街、亀戸六丁目繁栄会でも書きましたが、亀戸は工場の街であり、亀七通りの突き当たりにある亀戸中央公園には、昭和49年(1974)まで日立製作所の大工場があったんです。
 亀七通り付近には駅など全くありません。駅に付随した商店街ではなく、亀七通は日立製作所で働く労働者達の動線にできた商店街だったのではないでしょうか。飲食店の遺構が目立つのもそのせいなのかも。労働者たちが、食べて帰ってたとか。その頃までは、労働者で賑わっていたんですかね。
 そして、工場の閉鎖とともに商店街としての必要性がなくなってしまって、じわじわと寂れていったのか。




七通り(亀戸七丁目商店会)の地図、アクセス

東京都江東区亀戸7丁目

七通り(亀戸七丁目商店会) 情報交換

亀七通り(亀戸七丁目商店会)について、勝手な感想を書いてしまっています。皆様の訪れた感想、また足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。

2022年12月4日日曜日

水神通り|亀戸水神につながる下町亀戸の閑静な通り

 ホーム東京の通り>水神通り


 亀戸駅北側の大通り、亀戸十三間通商店街から亀戸水神宮に向かう通り。通りの名前がついているもののなんだか閑散としていて、ただ単に神社に向かう通りだから名前がついているのかなと思いましたが、実は、この通り、過去には立派なアーチの掛かる亀戸水神通り会という商店街組織があったんです。
 今では、江東区商店街マップにも載っていないので、商店街組織としては消滅してしまっているのでしょうか。


 江東区のサイトに道路愛称名というページがあるのですが、その中に「エルこうとう」という地域雑誌に過去に掲載されていた愛称通りを歩くという特集がそのまま載せられています。そこに平成8年(1996)に書かれたと思われる水神通りの記事があり、アーチの掛かる水神通りの写真が掲載されています。
 その頃までは、まだ商店街として存続していたようですが、20数年経った今、一部にはその頃の面影を残しつつ、味気ない無機質な通りに変わっていっているようです。


 味気ないと言いつつ、下町には似つかわしくないオシャレな美容室があるあたり、近くにある亀戸五丁目中央通り商店街の庶民的な雰囲気とは少し違う、落ち着いたゆったりした印象が水神通りにはあります。



 なんのお店だったのだろうか激シブな佇まいの建物。看板と間口からするとタバコ屋だったのかな。


 立派な看板建築の畳屋さん。畳屋さんがあるだけで、この通りが古い通りなんだろうなと想像が付きますね。


 食器のギャラリーのようなお店、というかギャラリー。やはり、どことなくこの通りの品の良さが感じられますね。


 水神通りの中盤に差し掛かってくると、風格のある建物が増えてきて、以外と、この中盤あたりに商店街だった頃の痕跡というものが残っています。




 シャッターの前に植木が置かれているので、もうやってなさそうな魚屋さん。その奥には現役の肉屋さん。食料品店が連なっていて、この辺りが水神通り商店街のメインどころだったのかもしれませんね。


 昭和な佇まいの洋食屋リベルテ。こんな純ぜんたる洋食屋が、こんな閑静な通りに存在するとは、亀戸恐るべし!いつからあるお店なのかわかりませんが、この通りの向こうには、昭和49年まで日立の大工場があったのですから、この水神通りも城下町として賑やかだったんですかね。でも。労働者の町に洋食屋は似つかわしくないな。




 中華料理、寿司、中華料理。


 中華料理店が2店、宝来軒よしのや。どっちも町に根ざした中華屋然としていて、迷った挙句によしのやへ。


 瓶ビール中瓶、600円。うーん、ちょい高いかな?ラーメン+唐揚げ、ライス小は750円で良心的。


 ラーメンのスープが溢ればかりなみなみ。味は、極薄味って感じ。唐揚げも薄味。健康的な味付け・・・。まぁ、この昭和的な家族経営の中華屋の雰囲気が大事なわけで。




 先ほどの愛称通りを歩くの水神通りの特集の地図には、亀戸水神の南に銭湯が描かれています。今はないのですが、20数年前までは銭湯もある風情ある通りだったんですね。


神通りの地図、アクセス

東京都江東区亀戸4丁目、5丁目

神通り 情報交換

水神通りについて、勝手な感想を書いてしまっています。皆様の訪れた感想、また足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。