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2025年11月30日日曜日

マルキ通り商店街|砂町銀座から分岐した商店街

  ホーム東京の商店街>マルキ通り睦会



 東京三大銀座の一つに数えられる砂町銀座商店街から、ちょろっと分岐した商店街がマルキ通り睦会です。砂町銀座商店街の焼肉スタミナ苑の惣菜店から分岐している路地です。
 以前は、マルキ通り商店街と看板が掲げられたアーチがあったようですが、今はありません。


 短い路地だけの商店街ですので、お店の数は少なく、看板を見る限り8店舗ですね。
 その中でも飲食店がほとんどで、砂町銀座から派生した飲み屋街的な印象を受けますが、成り立ちはどういう感じなのでしょうか。ネットとか調べても出てきません。マルキ通りのマルキは何からきているんでしょうか。



ルキ通り商店街地図、アクセス

東京都江東区北砂5丁目

ルキ通り商店街 情報交換

マルキ通り商店街について、勝手な感想を書いてしまっています。皆様の訪れた感想、また足りない情報や、新しい情報などありましたら、コメントをお願いします。情報交換の場にしてもらえればと思います。

砂町銀座商店街|江東区の陸の孤島!東京三大銀座の一つ下町大衆商店街

 ホーム東京の商店街>砂町銀座商店街


 東京三大銀座に数えられる商店街。他の二つは十条銀座と戸越銀座。十条銀座と戸越銀座の入口と比べるとローカルな下町感が強い砂町銀座。
 十条銀座はJRの十条駅、戸越銀座は地下鉄の戸越駅という最寄駅がありますが、ここ砂町銀座の最寄駅というと地下鉄の南砂町駅でしょうかね。歩いて20分かかります。それなので砂町銀座は、陸の孤島のような場所にある商店街と表現されることが多いです。


 それでは、南砂町銀座はずっと陸の孤島だったのか?というと、そんなことはありません。
 砂町銀座商店街のサイトで砂町銀座の歴史をみてみると、もともと砂町平和会という商店街組織だったのを、昭和7年(1932)に砂町銀座通りと名付けられたそうです。その頃にはこの商店街は存在していたということですが、実は、その頃、砂町銀座の西側には路面電車の北砂町一丁目という停車場がありました。
 この北砂町一丁目という停車場は、大正13年(1924)から昭和40年(1965)まで40年間存続していました。砂町銀座の前身の砂町平和会がいつ頃結成されたのか分かりませんが、北砂町一丁目という停車場が近くにあったということ無縁ではないのかなと思います。


 また、砂町銀座の北には明治22年(1889)に設立された日本精製糖の工場があり、工場の町として発展しました。日本精製糖の工場は昭和16年(1941)に東京芝浦電気(東芝)が買い取り、こうして砂町銀座の北には日本を代表するような大工場があり続けたのです。
 砂町銀座直近でいえば東芝の工場ということになるのですが、砂町界隈でいえば、日本曹達や石川島播磨工業、汽車製造など、日本を代表する会社の工場が多くあり、まさに京浜工業地帯の中核のような地域だったのかなっていう感じです。


 とは言えですね、砂町銀座のサイトによりますと、戦前には30軒程度の小さな商店街だったようです。それが、太平洋戦争の空襲で焦土となり、現在の形にまで復興したのは昭和38年頃だったそうです。


 砂町銀座が復興を遂げたのちの昭和40年には都電の砂町線が廃線となりました。そこで文字通り、砂町銀座は陸の孤島になったのですね。
 ただですね、その頃から都内にあった大企業の大工場が郊外に移転をはじめました。砂町界隈では、東芝や汽車製造の工場跡地に巨大な団地ができました。陸の孤島ではあったけれども、周辺に巨大な団地ができたことによって、砂町銀座がより下町らしく庶民的な商店街として賑わいを継続し続けたんだろうなと思います。


 砂町銀座復興期の昭和30年代頃からやっている焼肉スタミナ苑直営の惣菜店。
 焼肉スタミナ苑の脇には、マルキ通り商店街という看板が出ていて、その路地も商店街のようです。


 青山あそこと書いてある通り、もともと青山で営業していたラーメン屋が2024年に砂町銀座に引っ越してきたそうです。古いお店だけでなく新しいお店もオープンしていて、新陳代謝してるなって感じです。


 地元密着なレディース用品店。下町商店街ならではです。





 古い商店建築、看板建築が残っていて、商店街の景色も見応えあります。



 特に惣菜店が多いです。下町商店がの食べ歩きとかいいですね。
 私は、惣菜買って、お酒買って、飲んでから歩きました。飲み歩きはしていませんよ。






 ほとんど地元の人たちでしょうね、人出がすごいです。




 惣菜店が多いのが砂町銀座の良いところですが、特にこのおでん種のお店の前には多くの人だかりが。昭和45年(1970)創業の老舗。いいですね、こんなお店が家の近くにあると!




 もちろん、靴も売ってますよ!


 このお惣菜店、染谷はなんと昭和25年(1950)創業らしいです。戦後ちょっとしてからずっとやってるんですね。


 この鳥光は、孤独のグルメにも登場した老舗の惣菜店ですが、閉店してしまっています。 




 古着屋もあります。



 地元の個人商店のようなお店が多く、何かの資本を感じるような新しいお店はそんなに進出してきていない和やかな、これぞ下町!と言えるような商店街です。











 砂町銀座商店街、西側は明治通りに突き当たります。その明治通りに、昭和40年まで都電砂町線の北砂町一丁目の停車場があったんだと思います。

町銀座商店街地図、アクセス

東京都江東区北砂3丁目、4丁目、5丁目

町銀座商店街 情報交換

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2023年12月22日金曜日

みたかや酒場|森下の地元の人で賑わう昭和酒場

 ホームローカル酒場>みたかや酒場


 東京でドヤ街といったら、それはもう山谷なのだが、その山谷ですら、ドヤ街としての機能は終わりつつあり、街も変わりつつある。時代が変われば街の風情も変わり、大変だったその頃の文化を懐かしむという風情も出てくる。
 山谷はドヤ街としての規模も大きかったので、よく知られているし、労働者向けの風情ある酒場もまだまだ多く残っている。ただ、東京のドヤ街は山谷だけではなく、都内に点在していた。このみたかや酒場がある江東区森下も、大正の頃から高度成長期までは、山谷ほどの規模ではないが、高橋ドヤ街と呼ばれるドヤ街だったのだ。
 路地裏にビジネスホテルがポツポツっとあるのは、簡易宿泊所の名残りなんだろう。そして、山谷のように労働者向けの酒場が残っているかと言えば、そうでもない。ドヤ街としての規模が小さかったから、もともとそんなに多くなかったのかも知れない。
 みたかや酒場は、ネットでの情報をもとにすると昭和49年(1974)の創業のようだ。高度経済成長が終わった頃。ドヤ街としてはまだ機能していた頃なのかな。そんな時期に創業したということだ。
 ドヤ街には、風情のある名酒場がある。みたかや酒場も、そんな風情を残した名酒場だ。


 20時過ぎていたので、もう入れないんじゃないかと、師走の寒空の中を急いで歩いた。
 引戸を開けると、カウンターも奥のテーブルも大賑わい。老若男女入り乱れての大盛況だ。かろうじてカウンターの一席が空いていたので、入れてもらった。


 ビールは赤星。いつも通りポテトサラダ。ポテトサラダにベチョっとマヨネーズが添えてあって、ジャンクな食欲を刺激する。その上、ソースまで渡された。
 ポテトサラダにソースはかけたことないんだが、折角なので、途中からソースをかけて味変。うーん、ジャンキー。


 焼酎ハイボール。ソーダは瓶で渡されて自己調合するスタイルだ。焼酎は黄色い何かを入れてウイスキー色にしている下町独特のアレではなく、無色透明の焼酎そのもの。
 ソーダを入れると、その泡沫が美しい。


 下町の老舗酒場、地元の先輩たちが静かに飲んでいるのを想像してたのだが、そんな先輩たちよりも、地元の若い世代のお客さんが多いようで、活気にあふれた老舗酒場だ。
 なぜ、地元の人だとわかるのか?
 大将や、おそらくその息子さんらしき若大将が、お客さんを名前で呼んでるから。地元の友達のノリだ。


食べたもの

赤星 660円
焼酎ハイボール 440円
ポテトサラダ 400円
牛にこみ 500円


たかや酒場の地図、アクセス

東京都江東区森下4−20−3

たかや酒場 情報交換

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