2022年8月20日土曜日

亀戸六丁目繁栄会|工場街であった亀戸の名残!?亀戸の飲み屋街は北口だけではない!

ホーム東京の商店街 亀戸六丁目繁栄会
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 亀戸の飲み屋街といえば、やはり北口のホルモンや、餃子があまりにも有名なんですが、実は駅の南側にも飲み屋街があるんです。ここがまた狭い路地にゴチャっとお店が並んでいていい感じの雑多感なのです。


 この路地は亀戸六丁目繁栄会という商店会が組織されていて、路面はキレイにカラータイル化されています。レトロな酒場の建物とカラータイルのコントラストが何とも言えない美しい景観を醸しているのだなと思います。


 通りの東側は、特にレトロな個人酒場がゴチャっと密集していて、ノスタルジックフリークには堪らない光景なんですね。
 ただ、江東区から平成30年に亀戸六丁目まちづくり方針というのが出されていてなんだか再開発計画のようなものがあるらしいんです。この景観もぶっ壊されてしまうんだろうか・・・。どうか、この景観の歴史的価値を認識して頂き、共存する道を模索してほしいな。
 歴史的価値といいながら、この亀戸六丁目繁栄会のルーツも、そしてどうしてここに酒場がたくさんあるのか本当のことは知らないのですが・・・。ただ、亀戸駅の南、京葉道路沿いには、昭和12年(1937)から平成5年(1993)まで、第二精工舎の大工場があり、また、亀戸駅の東、現在の亀戸中央公園の場所には、明治40年(1907)から昭和49年(1974)まで、日立製作所の前身の会社の期間も含め、大工場があったのです。日立製作所のそしてそれらの大工場の下請けの工場がたくさんあったわけで、亀戸は工場の街だったのです。今では全く考えられませんが。
 そうすると近場の駅である亀戸に労働者が集まるわけで、そんなこんなで飲み屋街が形成されたんではないかと思うのですがどうなのでしょう。亀戸中央公園なんてかなり広いですから、日立の工場もかなり大きかったのではないかと思います。この工場は昭和49年までですから、その頃のこの通りはもっと現役で活気があったのかもしれません。


 今では古い商店建築に少し空き家が見られます。


 通りの東側は、西側の密集感がなくなり、いくぶん大きな建物が増えてきます。



 西側のお店は昼間は開いていないようでしたが、東側の大箱のお店は開いていました。






 昭和な看板建築も残っていますが、西側に比べ、東側はかなり建て直しが進んでいるようにも感じました。ほら、正面には、大きなクレーン車が・・・!


戸六丁目繁栄会の地図、アクセス

東京都江東区亀戸6丁目

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