京葉道路から亀戸中央公園までの細い通りの商店街。京葉道路がわの入り口には大きく立派なアーチがかかっているのですが、看板の文字は薄れていて、時代の流れと無常を感じてしまいます。
アーチの裏側は、「亀七通り」の文字がくっきりと映えています。日当たりの問題なのかな。街灯も立派で、電灯が三連になっており、商店街によくあるスズランを模した街灯のよう。
ただ、入口の薄れた文字が象徴しているように、やはり通りは閑散としているどころか、お店もやりきれなくなったのか、あんまり無い。
通りの中程に来ると飲食店がポツポツと。
そば屋と居酒屋が連なっていたのですが、やってるのはどうやらそば屋だけみたい。飲食街的な通りだったのかな。
住宅が浸潤した通りに看板建築が少し残る。
レトロな出立のお菓子のニッタ。ネットで検索するとチェーン展開していたのか、小岩に同じお店があるようだ。亀七通りの方は閉店してるみたい。
その向こうにある中華一番。これもやってないみたい。やっていたら是非ともよってみたかった出立の町中華。
ほとんどシャッターが閉まっている看板建築。
お米屋発見。飲食店だけでなく、生活に根ざした商店もあるようだ。
庇がダイナミックにはげ落ちた看板建築。その奥には中華料理ふじやがあるが、これもイェってないみたい。
突然、硬派な包丁職人のお店吉實。この商店街がバラエティ豊かだったのかもしれないと思わせる。
さしてお店のないまま、亀七通りは亀戸中央公園にぶつかる。こちら側のアーチは背が低く、両面の文字もくっきりしていて存在感がハンパない。この辺りも住宅やマンションに侵されている。看板の下には、商店であったであろう建物が遺物のように残っている。
亀戸駅南口の商店街、亀戸六丁目繁栄会でも書きましたが、亀戸は工場の街であり、亀七通りの突き当たりにある亀戸中央公園には、昭和49年(1974)まで日立製作所の大工場があったんです。
亀七通り付近には駅など全くありません。駅に付随した商店街ではなく、亀七通は日立製作所で働く労働者達の動線にできた商店街だったのではないでしょうか。飲食店の遺構が目立つのもそのせいなのかも。労働者たちが、食べて帰ってたとか。その頃までは、労働者で賑わっていたんですかね。
そして、工場の閉鎖とともに商店街としての必要性がなくなってしまって、じわじわと寂れていったのか。
亀七通り(亀戸七丁目商店会)の地図、アクセス
東京都江東区亀戸7丁目
亀七通り(亀戸七丁目商店会) 情報交換
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