こんなに緑豊かなお寺が、西新宿の高層ビル街にあるんです。隣には常泉院があります。
常圓寺のサイトによりますと、創建年代は明らかでなく、安土桃山時代、天正13年(1585)、幡ヶ谷からここに移されたと伝わっています。幡ヶ谷には180年間堂宇があったといわれており、室町時代の創建ということになるんですかね。
江戸切絵図「内藤新宿千駄ヶ谷辺図」には、今と同じ青梅街道沿いに書かれています。また、「櫻ノ右木有」とも書かれていますが、常圓寺には江戸三代桜といわれた大枝枝垂桜があったからでしょうか。右木有の意味がよくわかりません・・・
隣に天満宮と書かれていますが、これも今もある成子天神社でしょう。
立派な中門ですが、この中門は戦災により焼失したため、戦後に再建されたものです。中門だけでなく、境内にあった諸堂全て焼失してしまったんだそうです。
本堂は鉄筋コンクリートで、昭和44年(1966)に再建されています。本堂の脇に瓦屋根が見えますが、これは書院(寺務所)。この建物は、日野市の豪農の母家を昭和27年(1952)に移築した建物です。きちんと写真を撮ればよかった・・・
境内からは、こんな西新宿の高層ビルが見えます。
江戸時代中期の狂歌師、便々館湖鯉鮒の狂歌碑が参道脇にあります。便々館湖鯉鮒が亡くなった翌年、文政2年(1819)、大田南畝に揮毫されたんだそう。この碑には「三度たく 米さへこはし やはらかし おもふままには ならぬ世の中」、3度択ご飯でさえ、硬かったり柔らかかったり思うようにならないように、世の中も思うままにならないという、分かりやすい、その通り!
ネットで検索していると、この狂歌、北大路魯山人の言葉だとするサイトが多くあるのですが、どちらが正しいのでしょうか・・・
常圓寺の地図、アクセス
東京都新宿区西新宿7−12−5
常圓寺 情報交換
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