この近くといえば、江戸時代には小塚原処刑場があったり、吉原遊郭があったり。そして、つい近年まで日本でも有数の日雇い労働者が集まるドヤ街があったり。なんだか少し物騒な地域だったわけですが、この玉姫稲荷神社が創建されたのは、はるか昔の奈良時代、天平宝字4年(760)。京都の伏見稲荷大社からご分霊を勧請したんだそうです。
創建当時は、物騒も何も、何もない田舎だったんでしょうが、徳川家康が江戸に入り、江戸が大都市化する過程で、江戸の郊外であったこの辺りにそういうものが寄せられてきて、そんな地域になっていったんでしょう。
現代人の私は、この辺りは、そのドヤ街のイメージがものすごく強いんですが、そのドヤ街に玉姫っていうのが、またあまりにも対極的な感じがして興味をそそられていたんです。なんだか玉姫っていうだけで艶やかなイメージが私の中で蔓延っていたんです。
しかしながら、訪れてみると、特に艶やかな神社っていうことでもなく、質実剛健な感じの神社でありました。
そもそも、玉姫という社名の由来は、艶やかなものではないのでした。鎌倉時代後期、鎌倉幕府討伐に赴いた新田義貞が玉姫神社で戦勝祈願し、弘法大師直筆と伝わる稲荷大神像を瑠璃の玉塔に奉納したことから玉秘め、そして玉姫になったと伝わっています。
艶やかどころか、戦勝祈願が由来だったのです。
社殿は、吉原遊廓から発生した火災、関東大震災、東京大空襲などで度々焼失しており、現在の社殿は、昭和27年(1952)に再建されたものです。
境内には境内社が2社あるのですが、一つが口入稲荷神社。これは吉原遊廓にあった口入れ屋という妾を斡旋したりする商売をしていた高田屋に祀られていたお稲荷さんを移したもの。
商売繁盛や良縁にご利益があるそうなんですが。妾を斡旋していた業者に祀られていたお稲荷さんに良縁のご利益があるといわれても、なんだか複雑な気持ちになりもしますが。まぁ、でもそれだけ、日本は性風俗に対しておおらかな文化だったんでしょう。妾なんていいうと今ではあまりいいイメージがしないですが、当時はそんなことはなかったのでしょう。
もう一つの境内社は八神殿。その名の通り八つの神社を合祀しています。
また、この地域は皮革業が盛んであり、製靴業者もたくさんあることから、玉姫稲荷神社は、靴の神様としても知られています。「こんこん靴市」や「靴のめぐみ祭り市」などのお祭りというか、イベントが行われています。
玉姫稲荷神社の地図、アクセス
東京都台東区清川2−13−20
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