神社の左脇には藤棚の下にベンチ、右脇には公園。ベンチには、近所のご老人方が集まって談笑していたり、いかにも下町な情景。
古くからあるお稲荷さんかと思いきや、そんなことはなく明治39年(1906)から祀られている。東京でも飛鳥時代、奈良時代、平安時代などから祀られている神社がたくさんあるので、それらと比べたら超最新の部類に入る。
その土地に神社が祀られるのは、何か神聖な場所だったとか何かの霊験があったとか、お告げがあったとか。神社は、それはそれはその土地に古くからあるものですからそのような伝説と交わりながらその土地に存在しているんですが、この超最新とも言える田丸稲荷神社も、実は原忠三郎という人が霊夢を見たことにより祀られたお稲荷さん。
原忠三郎という人は、明治の頃、この辺りを開拓した人。開拓を始めたのも、奥さんが亡くなる前に「父が以前行ったことのある所に宝財として土地を求めよ」というお告げではないけど、何か神がかり的な言葉に従って開拓を始めたんだそう。
荒れた土地を開拓し、その土地の一隅を払い清めたところ、今度は、夢に咲栃の神現れ、「私の安居をよく清めてくれました。感謝のしるしとして貯財の道を教えましょう。北の2kmのところにある水田の地を開けば人が集まり、家運が向上するでしょう。」とお告げがあったんだそう。信心深くても、現代人の科学的な心も持ってしまっている私には俄に信じがたい話ではあるのですが、そのお告げ通り、原忠三郎さんは、この田丸稲荷神社があるこの地に咲栃の神をお祀りしたそうです。
こんな謂れが境内の案内板に書いてある。あまり詳しくない私は、咲栃の神というのが分からないので、ネットで調べてみたが一切引っかからないのでよく分からない。
神社の右脇の公園は原公園という名の公園。これは、原忠三郎さんからとった名前なのだろうか。昭和12年には公園として整備されたようで、人の集まる商店街、その脇にある神社、公園。商店街で買い物するお母さん、公園、神社の境内で遊ぶ子供、下町の王道のような情景がここにはあったんでしょうね。
田丸稲荷神社の地図、アクセス
東京都墨田区京島3−43−9
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