花柳界の風情を残す墨田区向島にあるお寺。安土桃山時代の慶長元年(1596)に開山されている。
江戸中期には徳川六代将軍家宣の正室、天英院が帰依したため、寺料30石が給されるようになりこのお寺は大きく繁栄することになる。大伽藍が築かれ、境内には本行坊、本種坊、本住坊の塔頭があったというから、かなり壮大なお寺だったんだろう。
江戸切り絵図「隅田川向嶋絵図」には、北十間川に面するまで描かれていることから、広大な寺地であったことがうかがえる。隣には水戸殿があり、常泉寺は幕府から葵御紋の使用を認められていて、かなり格式の高いお寺だった。
昭和3年(1928)、言問橋の完成に伴って言問通りが常泉寺の境内の中央を横切ることになり、寺域が縮小されてしまっている。
常泉寺にある案内板には、明治末から大正始め頃の写真として、総門と本堂の写真が掲載されている。広大な寺域を有していた頃の写真だろう。総門も本堂もとても立派である。
明治の半ばにドイツなどに留学し日本で初の薬学博士になった下山順一郎の記念碑。
また、常泉寺には、江戸時代の儒学者で医者であった朝川善庵の墓がある。
久遠山常泉寺の地図、アクセス
東京都墨田区向島3−12−15
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