2023年4月30日日曜日

牛嶋神社|スカイツリー近く、平安前期創建の古社

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 東京スカイツリーから数分歩くと隅田川の川辺に出る。その辺りは目立たないけど、ひっそりと花柳界の風情を残す向島。かつて水戸藩主の下屋敷があったところが、現在は隅田公園となっていて公園に寄り添うように牛嶋神社がある。
 そうすると牛嶋神社は、かつては水戸徳川邸の中にあったのか?と思ったのだが、そうではない。江戸切り絵図「隅田川向嶋絵図」を見てみると、水戸徳川邸より北に「牛ノ御前」というお社がある。これがかつての牛嶋神社であり、今よりもかなり北、弘福寺のそばにあったことがわかる。


 江戸名所図会にも、弘福寺や長命寺とともに牛御前宮として、隅田川端の風光明媚な地域の神社として描かれている。



 牛嶋神社の創建はとても古く、平安時代前期、貞観2年(860)の創建。大正12年(1923)の関東大震災で罹災し、その後の墨田堤の拡張に伴い、昭和7年(1932)に、ここ水戸徳川邸の跡地に再建された。東京大空襲によって神楽殿は焼けたものの、本堂などその他は昭和7年の再建当時のまま残っている。
 平安前期というと武蔵野のこの辺りはさぞかし田舎だったんだろうけど、遣唐使の一人であった慈覚大師(円仁)という高僧が、ここに須佐之男命を祀るようご神託を受けたため、須佐之男命を郷土守護神として祀ることになった。
 須佐之男命は神仏習合で牛頭天王と呼ばれ、牛との関係が深いのだが、ご神託によれば、国土で騒乱がおきたら首に牛頭をいただいて守護すると宣ったそうだ。また、文武天皇の時代(701−704)、このあたりには浮島牛牧という牧場があったんだそうだ。そんなこんなで、慈覚大師が受けたご神託が先なのか後なのか分からないが、この地は古来から牛ととても関係の深い地域だったんだろう。
 創建当時は、「王子権現」と称していたそうだが、天文7年(1538)に後奈良院より「牛御前社」と賜り、そして明治以降は牛嶋神社と称するようになった。奈良時代にできた浮島牛牧がいつの時代まであったのか学者でない私には分からないが、そんな太古にあって、とうの昔に無くなっている牧場の微かな名残が地域に残っているというのが感慨深い。


 境内には、北条時宗の威光を讃える碑や、江戸落語の中興の祖といわれる烏亭焉馬が、文化7年(1810)に自ら建てた句碑がある。北条時宗の碑の前には、江戸時代の力石がたくさん嵌め込まれている。


 昭和37年(1962)、食肉となった牛を慰霊するために建立された包丁塚。


 牛嶋神社には、江戸時代からの歴代の狛犬があるが、まず出迎えるのは昭和7年にこの地に移ってきた時に奉納された狛犬。



 文政8年(1825)ころ奉納された撫牛。この像が奉納される前は牛の形の自然石があったと伝わる。体の悪い部分をなで、それから牛の同じところをなでると病気が治るという撫で牛の風習。


 総檜権現造の立派な社殿は、昭和7年の移築以来のもの。社殿の前の鳥居は、明神鳥居の両脇にふたつの鳥居が組み合わされた三輪鳥居という珍しい鳥居。



 かなり豪華な、これは狛犬というか獅子山といわれるもの。これらの年代がよく分からないのが、阿像の方には大正7年(1918)、吽像の方には文政10年(1827)と刻まれている。最初の奉納が 文政10年ということなのかな。


 獅子山の背後にひっそりある狛犬は、文化8年(1811)。


 あまりお目にはかかれない狛牛。いつ頃の作なのだろうか、年代が刻まれていなくて分からない。皮膚の面の感じがなんだかとてもリアル!



 享保14年(1729)奉納の狛犬。境内で見られる最も古い狛犬。


 境内社、小梅稲荷神社。向島と押上の間には小梅通りという通りがある通り、小梅村という村があった。


 牛嶋神社の祭礼は、貞観の昔に初めて行われたとされる9月15日に行われており、5年に一度の大祭はかなりの賑わいになる。

嶋神社の地図、アクセス

東京都墨田区向島1−4−5
 


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