本郷通りから菊坂に入って、昭和なコロッケで人気のまるや肉店を過ぎると南に坂道が現れます。左に立派な看板建築がある!
この坂道が本妙寺坂。かつて本妙寺という寺院があったので本妙寺坂というのですが、この坂に本妙寺があったわけではなく、菊坂を挟んで、反対側の坂道に本妙寺はありました。
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本郷湯島絵図(嘉永2年-文久2年) 国立国会図書館デジタルコレクション |
上の江戸切絵図の明るく抜いたあたりが本妙寺坂です。北端で今の菊坂と交差すると思いますが、今の菊坂と本妙寺は面していたのではないようです。ですので、本妙寺坂が菊坂でぶった切られて本妙寺跡と本妙寺坂がつながってはいないんですね。本妙寺坂という坂なので、この坂の途中に本妙寺があったのだと思っていました。
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東京市本郷区全図 明治十一年一月調査 国立国会図書館デジタルコレクション |
明治11年1月発行の本郷の地図がありました。江戸切絵図よりはこちらの方が正確かなと思いますが、やはり本妙寺と菊坂は面していなかったようですね。
この地図には本妙寺が記載されていますが、まさにこの明治11年に巣鴨に移転していますので、この地図が発行された直後に移転したことになります。
ちなみに本妙寺は創建されてから転々としています。本妙寺のサイトによると、そもそも創建されたのは元亀2年(1517)。時は戦国の世、徳川家康が浜松に入城した際に家臣の久世家、大久保家によって駿府に創建されたのが始まりです。
その後、天正18年(1590)に家康が江戸城に入城となるにあたって、本妙寺は江戸城内に移ってきました。そして、江戸城拡張のために飯田町、牛込御門内、小石川へと移転し、寛文7年(1636)に本郷に移ってきたのです。
坂の話に戻りましょう。
坂の中腹にレンガ塀発見!これは何でしょう?
江戸切り絵図には、ここには小笠原佐渡守と書いてあるので、大名屋敷があったということです。広大な大名屋敷は近代以降、その広大な土地をいろいろと利用されてきたと思いますが、レンガ塀というと何か官製の施設にでも利用されたのでしょうか。何かそんな感じがしますよね。
それでネットで調べてみたら、昔空間散歩の薦めというサイトに小笠原佐渡守邸跡という記事がありました。この記事によると第四大區警視出張所病院という病院があったと記されていました。なるほど病院があったのですね。それらしいですね。
ついでに第四大區警視出張所病院を深掘りしようと思いいましたが、ネットでは何も出てきませんでした。
その第四大區警視出張所病院の地図はないのかなと探しましたが出てこず、文京区立図書館に東京市本郷区全図(大正11年)というのがありました。ネットで見ると字が小さくて読めませんが、かろうじて「小◯◯病院」と見えるような・・・。小笠原家の屋敷があったので、小笠原病院だとか?詳しい方いらっしゃいましたら教えてくださいm(._.)m
坂をのぼりきったら看板建築が残っていました。
和菓子の㐂久月。ホームページには創業70年と書いてあります。この年数が毎年更新されていると1950年代から営業されているということですね。
なかなか風格のある八百屋さん。市内局番が3桁なのがイイですね。
本妙寺坂の地図、アクセス
東京都文京区本郷4丁目
本妙寺坂 情報交換
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