胸突坂と呼ばれる坂道は、都内にいくつもあります。急峻な坂道にその名が付いている場合が多く、まさに旧な坂道を胸が斜面につくんじゃないかというような姿勢でのぼる様から、こんな名前が付いているようです。
江戸時代、1800年代の本郷湯島絵図に胸突坂のところに「ム子ツキサカ」と書いてあります。今でこそ急ではあるものの舗装されて歩きやすくなっていますが、当時はもっと大変な坂だったんでしょうね。
看板建築発見。胸突坂の下は菊坂。菊坂には今も少し商店や、商店建築が残っていたりますが、菊坂からそれたこの胸突坂にも商店があったんですね。
胸突坂にはマンションなどが建ち並んでいますが、ちょっとしたところに自然が残っています。
坂道が急峻になってきたところに、なんだか料亭みたいな建物があります。食事できるのかと思いきや、どうやらどこぞの会社の福利厚生施設か何かのようで一般人は利用できなそうだ。
最後の急坂を登って坂の上までくると明治31年(1897)に建てられた鳳鳴館が現れます。
関東大震災にも戦災にも持ちこたえ、登録有形文化財として明治期の建築を今に伝える貴重な建物なのです。鳳鳴館は坂の上に本館、台町別館、森川別館の3館があり、これが本館です。
かつて、このあたりは台町と呼ばれ、鳳鳴館のような下宿屋や旅館が数多くあったそうです。鳳鳴館は、もともと下宿屋で、その後旅館に転業。
鳳鳴館の本館の向かいには台町別館があります。こちらも歴史ある建物です。
今は住宅街になっていますが、かつては下宿屋がたくさんあって、学生で賑わっていたんですかね。
胸突坂の地図、アクセス
東京都文京区本郷5丁目
胸突坂 情報交換
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